TaoChat@1202編集後記

今日から寒波が訪れるという予報があり身構えていたが、寒さはそれほどでもない。とはいえ部屋はヒーターで温めている。空は曇り空なので、気温は上がりそうもない。家内から、夕食の献立を考えておくようにと言われたので、カレーでも作ろうかと思っている。この一週間の出来事は、伊集院静氏の死去は非常に残念です。日経の朝刊にも紹介記事がかなりのスペースを割いて書かれていた。高樹のぶ子氏が、山口県防府市でおなじふるさとだということを書かれていた。自伝小説の「いねむり先生」を読みました。筋が通っていて、かっこよさで目立つ小説家でした。グローバルでは、フェイク画像が氾濫していて、何が本物か見分けがつかない事態になっているのがニュースになっていました。Seeing is believing.であり、現場で見た目を信じるしかありません。イスラエルやガザに行って、現状を目にしないと確かなことはわかりません。

今回の言葉は、李白の詩をお届けしました。詩を読むことは、追体験することです。俳句もまたしかり。短い言葉からイメージを膨らませて、作者の思いを追体験することです。月を眺めて故郷を思うことなんですが、月の光をどのように見いだすかがポイントのようです。李白は、きっと眠れずにベッドの上ですわっていたのでしょう。するとふとベッドの前に月の光が射しこんでいるのに気付く。外の見ると、まるで霜が降りているように一面が白く照らされている。そして月を見上げて、故郷で見た月を思い出す。智恵子抄の智恵子は東京には空がないといった。ほんとうの空はふるさとにあるといった。空を見上げると、時間をさかのぼることができる。いつどこにいても、空の景色は変わらない。空に輝く星を眺めると、大航海時代の船乗りになることもできる。いつも同じ場所に輝く星は、方角を教えてくれる。李白の詩は、そんな追体験の題材になっているようである。