TaoChat@1336編集後記

どんよりした空で梅雨真っ盛りだが、雨は降らない一日だった。昼食を早めに済ませ、散歩してきた。湿度が高いので、背中に汗をかいた。

今日は、サッカーワールドカップのアルゼンチンとカーボベルデとの戦いに釘付けになった。それにしてもカーボベルデの選手の奮闘は素晴らしかった。PK戦に持ち込んだら、勝っていたかもしれない。

初出場で最強豪チームにあれだけ戦えれば、選手たちも思い残すことはないだろう。

この一週間のビッグニュースは、日本の対ブラジル戦での活躍だが、今一歩及ばなかった。個人レベルでどうしても差がついてしまう。でも確実に、日本チームは強くなっている。各選手が個人レベルで技を磨くことが課題になるように思える。

今日はアメリカの独立記念日だが、独立宣言に盛り込まれた思想が、現アメリカでは実施されていないのが悲しい限りである。

基本的人権は移民への差別主義で踏みじられている。かつてはアメリカは、夢を実現する有力候補地だったが、今は行きたくない国になってしまった。

プライベートの一週間は、大学の教養学部のクラスの同窓会に行ってきた。

50年以上が経過しているが、顔を合わせると昔に戻ってしまう。若くして亡くなったクラスメートの思い出話で盛り上がった。サッカークラブに属し、朴訥とした若武者のような男だったが病魔に倒れた。

昨日は有休をとって、銀行口座を2つ解約してきた。銀行も病院と同じで、解約するにも時間がかかることがわかった。預金をゼロにしているのですぐに終わるのかと思ったが、印鑑がないと手続きできないのが不便である。アメリカなら署名でOKなところ、とにかく印鑑を求める。ネットバンクの口座解約は簡便に終わるのはありがたい。そもそも口座開設に印鑑など用いなかった。

読書の方は、大江健三郎氏の「新しい人よ眼ざめよ」を読み終えた。バリ島で出会ったレイン・ツリーの話が出てきて、次の小説につながっていく。葉に水を溜め込むので、雨が止んでも雨を降らせ続ける木ということがわかった。一度見てみたい気もした。

キーコという女性も登場し、若かりし僕との関係も綴られる。「個人的な体験」にも眼が向いてしまう。

今回の言葉は、陶淵明の詩の一節から選んだ。最初は、「帰鳥」から選ぶつもりが、「生と死のことば」(岩波新書)で見かけた「形影神」のほうに眼が移った。

タオに心が向くのは、経験がそうさせる場合が多いが、自分の場合は若いときから腑に落ちた。相性というのだろうか、論語を読んでも堅苦しさを感じなじめなかった。

禅僧が、禅になじむきっかけを話すことがある。玄侑宗久氏が荘子になじんだのも、きっと若いときに出会って腑に落ちたのではないかと勝手に思っている。

TaoChat@1335編集後記

台風が通過する予報が出ており、一日中雨模様である。3日前から家内が風邪を引いてダウンしており、洗濯物がたまっているのが気にかかる。食事の用意の買出しは、車で済ませたところである。当然ながら、この三日は自炊している。今日の昼飯は、豚肉とキャベツを買ってきて焼きそばを作ってみた。

ソースと混ぜるとき、水を入れすぎたようで、麺がべたべたになってしまった。

この一週間のニュースは、やはりサッカーワールドカップで日本が決勝T進出できたのが大きい。二位通過だったので、決勝Tではいきなりブラジル戦となった。これも運命で、思い切ってぶつかるしかない。今の日本の実力なら、勝てない相手ではない。

プライベートの一週間は、家内のダウンの影響が大きいが、とにかく何とか食だけは確保している。読書のほうは、大江健三郎の小説を読み続けている。イーヨーの誘拐事件の話は緊張して読んでいた。犯人はその後捕まったのだろうかと思いながら読んでいた。

障がい者の世話にかまけて、社会運動に気が乗らない大江氏への反発から誘拐を実行したが、身勝手な犯行といえる。

作家には作家なりの信念で作品を書いているのだから、読者としてはその思いをまず尊重するのが筋だろう。イーヨーも解放後犯人からの電話を受けて、あなたは悪い人だと素直に感情をぶつけるシーンにイーヨーの心が垣間見られる。

今回の言葉も、老子からいただいた。

へびの尻尾をへびがくわえているシーンを想像させる言葉である。今起こっていることを考えるのは、過去をそしゃくすることと同じである。何故なら、今起こっていることは、過去何回も起こったことである。

道を学ぶと言うことは、歴史を学ぶということのようである。人間はいつでもそう突飛なことは考えない。時代は変っても同じような場面に出会えば、同じようなことを考える。

どこでどう間違ったのか気付くのは後のひとである。過去の過ちを繰り返さないためにも、先人が歩いた道を何度も振りかえる必要がある。

TaoChat@1334編集後記

梅雨らしい一日になった。雨の予報が出ていたが傘を持って散歩に出かけた。書店に寄って本を漁って出てきたら、雨が降っていた。裸足にスポーツサンダル履いて雨の中を歩くのもなかなかいいのものである。歩くたびに素足の指の間を風が抜けるのが気持ちがよい。スニーカーだとどうしても蒸れる感じがする。

この一週間のニュースは、サッカーワールドカップのオランダ戦で引き分けたのは印象深い。先に点を取られてもすぐ追いつくという渋とさが光るゲームだった。明日のチュニジア戦も期待したいが、是非とも先制点を取ってほしい。イランとアメリカの停戦合意はなされたが、いつまたアメリカが合意を破り戦闘を開始するか信頼が置けない。

プライベートの一週間は、新たな発見が多かった。Yuja Wangというクラシックの女性ピアニストを知り、YouTubeで豪快な演奏を聞き、感動した。きっかけは家内からすごいピアニストがいると聞いたことである。演奏するときのドレスも露出度が高く個性的である。演奏も超絶技巧の域に達している。ラフマニノフの曲をJAZZ風にアレンジした曲を流すサイト(ラフマニノフ・イン・ジャズ Better Than Perfect)を見つけ、これも気に入っている。自分としては超絶技巧よりも、リラックスして聞け、心が躍るリズムとメロディで演奏してくれるほうがありがたい。ジャズを通してクラシックのよさを味わいたい。読書の方は、大江健三郎の小説を続け、さらに真田幸村に関する解説本「実伝 真田幸村」(角川文庫)を読み始めた。大江氏の小説は、大江氏が障害児施設のために書いた台本「ガリヴァーの足と小さな人たちの国」に息子イーヨーが作曲した曲が加えられた話にさしかかり、劇が演じられる場面でのイーヨーの言葉と行動にが胸を打たれた。真田幸村の本は、大阪城の真田丸にいくまでの幸村の生の軌跡を知ることが出来た。幸村の生い立ちは、身分の低い母親のため、自分より後に生まれた信幸を兄とされ、信幸に真田家の家督がわたるという厳しい現実があった。父昌幸の方針で、兄は徳川方、父と幸村は豊臣方にわかれ、乱世を生き抜くことになった。幸村は関が原で負けた後は、十数年間蟄居の身だったが秀頼より誘いを受け、大阪城で運命を共にすることになった。そのあとの活躍はいわずもがなだが、家康の首を取ることに専念した果敢さは誰にも真似ができないと思われる。どこを落とせば戦に勝てるか知り尽くしていたようだ。

今回の言葉は、老子の「絶学無憂」をいただいた。学ぶことは生きるうえで大事だが、学び方を間違えると、憂いが増していく。結局は学ぶ目的を認識しているかどうかで決まる。生成AI真っ盛りの現代だが、コンピュータに学ばせても、学ばせ方を間違えると、出てくる答えは信頼できないものになる。仏教の修行では、経典をいくら読んでも、仏になることはできない。学んだことが行動に生きてこないと学んだことにならない。たとえ学ぶのを止めても憂いはなくならないだろう。ただ憂いを増すような余計な学びを止めることで、要らぬ憂いを抑えることができるだけである。生きることは身体から日々学びを得ることだと実感する。死に近づいていることを身体が教えてくれる。そのメッセージを無視するわけにはいかない。

TaoChat@1333編集後記

湘南地方も梅雨に入ったようだが、涼しく過ごしやすい梅雨のようだ。あちらこちらでアジサイの花が咲いている。うちのアジサイは定番の青紫だが、散歩で見たのは白いアジサイである。こちらは珍しいので頭に残っている。梅雨といえば、雨の中のアジサイが思い浮かぶ。小学校の2年生のときの梅雨に、弟が腎臓病でなくなった。自宅で葬式を挙げたが、棺の置いてある部屋から見た、庭のアジサイが雨に濡れる姿が目に焼きついている。それが自分にとってのアジサイの思い出である。今も思い出すので悲しみはそのときの情景のなかに埋め込まれるのだろう。今朝は寝床のなかで、斎藤幸平氏と佐藤優氏のYouTube対談を聞いていた。ロシア通の佐藤氏の話はいつ聞いても新鮮である。斎藤氏の持論に対し佐藤氏の率直な考えを知ることが出来た。

この一週間のニュースは、皇位継承問題でいろいろな案が出てきたのが印象的だ。皇族数を確保するために養子制度を導入する案も出ているそうだが、やはり血統を重んじて、女性天皇もありといういうのが筋のように思える。国際ニュースでは、マスク氏のスペースXがナスダックに上場したのは大きい。スターリンクで宇宙ビジネスも収益をもたらすことを実証したのはひとつの貢献でしょう。エネルギー問題にも貢献できる可能性もある。プライベートの一週間は、本郷和人氏の「武士とは何か」を読み終えた。大江健三郎氏の「新しい人よ眼ざめよ」は少しずつ進んでいる。イーヨーの行動の裏に潜む精神のゆらぎを懸命にくみ取ろうとする筆者の思いが伝わる。ブレイクの詩から啓示を受けるプロセスを興味深く読めた。

今回の言葉は、アランの「幸福論」よりいただいた。「53短剣の舞」に出ていた言葉である。過去を後悔したり、未来に悩む前に、もっと現在に立ち向かえと言う教えである。それこそが生きがいを与えてくれる。今の積み重ねが人生であるとするなら、今を大切に生きる姿勢が人生を豊かなものにしてくれる。大江氏も息子が障害児に生まれた直後何週間は、彼の生涯を考え死を願ったと「新しい人よ眼ざめよ」に書いている。しかし、イーヨーの行動から学んだことは余りにも大きかった。メルマガでは肉体の痛みの経験を述べたが、精神的な痛みもまた人生に実りを与えてくれる例は文学作品のみならず、身の回りに何度も散見される。

TaoChat@1332編集後記

今日は夏の日差しだった。昼ごはんに冷凍の深川飯を温めて食べた。アサリによるだしが取れていて美味しかった。佐々木投手が先発したドジャーズの試合を見ていたがゼロ対ゼロが続き途中で散歩に出かけた。結果を今調べたが、1対0で勝ったようだ。佐々木投手のピッチングは安定していたが、味方の点がなかったので勝ち投手にはなれなかったのは残念だった。

この一週間のニュースは、高市内閣の支持率が初の50%割れしたのが印象的だ。止まらぬ物価高に若年層が不満なのが原因のように書いてある。確かにすべての商品が値上げでとどまることを知らない。給料の方は据え置きで生活は苦しくなるばかりである。食料品の消費禅を来春から1%にする案が出ているらしいが、遅すぎる感がある。国際ニュースを見ると、東南アジア諸国の米国離れが進んでいるそうだ。アメリカを頼るより、中国に頼るほうがマシという考えが浸透している。本当の中国を知らないから、こんな考えが生まれてくるのかも知れないが、身近にいる中国とうまく関係を保ったほうが、経済でも恩恵が得られるのは事実であろう。

プライベートの一週間は、台風通過の中、雨を押して長靴で通勤したのが印象に残る。電車はさすがにすいていた。東京駅もすいていて、いつもの通勤もこのようだとありがたい。歩道は雨にたたかれ、水溜りが多く出来ていたが、防水の長靴ですいすい歩けた。雨でスラックスはずぶぬれになったが、夏用なので簡単に乾いてくれた。心配だったのは、帰りの電車が止まることだったが、幸い雨も弱まり問題なく帰れた。気象予報はあくまでも予報で、それをどのように解釈するかは個人の判断に任される。今回は自分の感に頼ったが裏目に出ることもある。危なくなったら迷わず帰宅するのが正解だろう。読書のほうは、大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」を読んでいる。どういう経緯で買ったか忘れたが、積読になったいたのを読み始めた。筆者の体験が中心となり話が進むので、興味がわく。

今回の言葉は、芥川龍之介の「侏儒の言葉」でみつけた正岡子規の歌を選んだ。芥川の「生死は運動方則のもとに絶えず循環している」の言葉のあとに、子規の歌が引用される。星からの光を受ける心をうまく語った歌だと思う。

TaoChat@1331編集後記

昨日は暑かったが、日よけ用のすだれを窓につける作業を行った。直射日光を遮るので少しは涼しくなるだろう。脚立に乗っての作業で、多少ふらついたのが怖かった。心筋梗塞を患って、血圧を下げる薬を毎日飲んでおり、時々ふらつくことがある。といって直ぐ飲むのを止める勇気もない。気持ちが持病もちになっている。もうすぐ梅雨に入るのだろうか湿度が高くなったのを感じる。

この一週間のニュースは、ホームラン街道をばく進していた村上選手がけがをしたのが残念である。数週間の治療のようだが調子を落とさなければいいと思っている。プライベートの一週間は、「暗夜行路」を読み終えた。実際読み終えたのは今朝だった。謙作に長女が生まれてから、大山に旅に出た後の展開が面白い。前回のブログで、謙作の心理を言葉以外の情景描写で表現できないかと書いたが、大山での生活で情景描写がふんだんに行われて引き込まれてしまった。大山の自然に触れ、そこから人間の動作を振り返るシーンが連続して訪れる。

青空を飛ぶとびの姿を見て、「人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事は果たして自然の意志だろうか。こういう無制限な欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではないだろうか。」と思い至る。荘子のはねつるべではないが、文明の利器がかえって人類に不幸を及ぼす可能性を自然の流れに見いだす。ついには、「人類が地球と共に滅びてしまうものならば、喜んでそれも甘受出来る気持ちになっていた。」というように境地に至る。その謙作の落ち着いた顔を見て、直子は彼が助かっても助からなくてもこの人に着いて行くと静かな心になる。大山という自然がなせる業だったのか、ひとは自然によって心が落ち着いていくようだ。

今回の言葉は論語よりいただいた。

自分がして欲しくないことはしてはいけない。これはひとに何か行う前に、考えなければいけないことである。相手が自分だったらして欲しいことなのか否か?NOならばしてはいけない。YESならばしていいというのが聖書の教えだが、これも何だか怪しいとメルマガに書いた。

人類に共通のして欲しくないことがある。

それが自分がして欲しくないことである。

それをやっちゃ終わりだよというのが論語の教えである。自由を求めて、アメリカに移民としてやってきたひとを、かつて移民としてやってきたひとが排斥する。トランプのやっていることはそういうことになる。移民を許さなくなったら、アメリカという国は成り立たなくなる。戦争が株取引に影響を与えることを知って、事前に高騰する見込みの株を買い占めて、戦争を仕掛ける。日本ならインサイダー取引で捕まるが、トランプは堂々と戦争で大もうけする。信頼を踏みにじることは人類共通のして欲しくないことである。それを大統領が堂々とやる。孔子を生んだ中国は、今回の言葉をアメリカにたたきつけてもよいのではないか。お互いにやって欲しくないことは止めましょうと。そのためには中国も軍事力増強に歯止めをかけなくてはいけないと思われる。日本に対して、「新型軍国主義」を主張する前に。

TaoChat@1330編集後記

1330号のメルマガを配信したあと、なんだかんだで編集後記は5日遅れとなった。

この一週間のニュースは、やはりWhiteSoxの村上選手の20号ホームランは素晴らしい。水を得た魚というか、村上選手は三振の多さを言われても、ホームラン道をまい進している。大相撲の方は、霧島が勢いを失って若隆景が優勝をさらった。霧島にとって二横綱休場は絶好のチャンスだったのに自ら逃してしまった。阿部慎之助監督の逮捕には驚いた。姉妹の兄弟げんかを仲裁し、長女を突き飛ばしたのが原因で、逮捕され辞任に追い込まれた。ChatGPTは罪作りだが、児童相談所に通報され出動した警察官も心苦しかったに違いない。ChatGPTから答えをもらっても、それを採用するか否かは人間の力量に任される。警察を呼べばどのようなことになるのか想像が及ばなかったのだろうか。実に残念な結末だった。プライベートの一週間は、「暗夜行路」をあと100ページまで読み進んだ。謙作が直子と結婚して長男ができたが、丹毒で子を失った。子を失った親の気持ちの描写があっさりと書いてあったので、もう少し突っ込んで欲しかった。言葉だけでなく、表情とか体の動きとかを通して、心理状態を表現してもらえると、場面がもっと赤裸々に想像できると思った。

今週の言葉は荘子よりいただいた。天均という考えは、タオの基本概念だと思う。「萬物は皆種なり」は、一つの種から万物は生まれたという。生命の起源はいまだに謎だが、今の科学は、一つの種から派生したことに落ち着いている。それを受け入れるなら、人間は生命の進化の歴史から学ぶことは大きい。今回のメルマガでもそのことを強調した。100分de名著で、ディケンズの「大いなる遺産」を見ていた。人間にとって富はささやかな遺産になるが、人類が生まれるまでにたどった進化の歴史は、謎で被われた、果てしない遺産となることは断言できる。