TaoChat@1161編集後記

昨日はとにかく暖かだった。それなのにタイツをはいていたせいか、体調がおかしくなった。夕食の鶏鍋の材料を買いに行き、帰宅して仕込みをはじめ、鍋を作り終わった直後から、食欲がなくなった。眠くなりそのまま寝てしまった。理由はわからないが、とにかく食べる気がしなくなり、眠たくなっただけである。10時間以上寝て起きた今朝は、体調はよくなった。一瞬コロナかと思ったが、そんな症状は聞いた事が無い。慢性的な睡眠不足なのか? 睡眠時間は5時間から6時間なのでそれほど多くないが、かといって少なすぎるわけでもない。食欲ももどり、朝食にご飯抜きで鶏鍋を食べた。というわけで、編集後記のほうは今日になった次第である。

この一週間のできごとは、とにかく重大なのは、トルコ・シリア大地震である。死者は2万人超と東日本大震災を超えている。東日本大震災津波による死者が多かったが、トルコ・シリア大地震は陸地で大被害を出している。とにかくトルコは地震国で昔から地震が多発している。それに対し、建造物の改良がされていないので、毎回大被害を出しているように見える。トルコは石の家なので、壊れると下敷きになって死ぬ場合が多いと思われる。壊れて下敷きなっても、圧死することのない軽量材料で家を作れば、被害は少ないと予想されるが、文化的歴史的な背景があるので、そう簡単なことではないかもしれない。

今回の言葉は、陶淵明の詩からいただいた。陶淵明といえば、「桃花源の詩」が有名で、高校の漢文の授業で始めてであった。桃花源はいわゆるユートピアで、老子小国寡民の世界に似ているので、陶淵明にも親近感をもって接した。幸い、書棚に岩波書店から出ていた陶淵明詩集があったので、そこに「飲酒」を見つけた。陶淵明は一生貧乏につきまとわれており、飲酒は農耕のあとのささやかな憩いとしてたしなんでいた。李白のように大酒飲みではなく、貧しさゆえの苦労を忘れるための飲酒だった。130首あまりのうち、半分には酒が出てくるので、酒は生活と切り離せないものになっていたのは確かである。とりあげた其十七の前半に、前庭に咲いている蘭の花が、清風に誘われて突如存在感を示すという前置きがある。これは何をいっているのかという疑問がわきました。陶淵明詩集の解説には、「帰去来の辞」の序にあるように、役人生活の間、抱いた出世の夢を蘭に置き換えているとある。夢を実現する途はない。蘭の花が突如垣間見えるときもあったという回想なのか? この疑問を解くために、詩集の他の詩をヒントに、陶淵明の頭の中に入り込む必要があるようだ。