TaoChat@1193編集後記

今日は涼しい。この天気が続いてほしい。メルマガの方は、9時くらいから言葉探しに追われた。今やっと配信が終わり、やれやれである。この一週間足の痛みも再発することなく、順調に歩けている。足が痛み無く動かせ、意のままに前に歩けることが幸せである。昨年白内障の手術をして、世界が明るくなり、はっきりと見えるだけで、幸せに感じたのと同じ思いである。普段当たり前であることが当たり前でなくなったとき、当たり前なことが一番幸せに思う。この一週間は、通勤では、カミュの「転落」、寝る前に、「バガヴァッド・ギーター」「ヒンドゥ教10講」を読んでいる。仏教がらみでインド思想に関心を持ち、関係本から真髄のひとつかふたつをつかもうとしている。この一週間は、ラグビーW杯のイングランド戦と、バレーボールの日本女子の活躍は印象的だった。相撲は熱海富士を応援している。からだが大きく、今後もますます力をつけるように思われる。まだエアコンのお世話になっているが、復調したリモコンがまたおかしくなり、メルカリで買った純正品の中古が役立った。しかし、今度は目覚まし時計がおかしくなり、あやうく遅刻しそうになった。老人の身の回りは皆古い製品が多く、つぎつぎにいろんな問題が起こってくる。一番の問題は身体の故障だが、これは買い換えるわけにはいかず、復調するのを待つしかない。

今回の言葉は、荘子よりいただいた。生も死も気の動きのなせる業。これも自分ではどうしようもなく、動きを妨げないように養生するしかない。気は、日本語に定着している。元気の気。気持ちの気。勝気の気。弱気の気。気合の気。運気の気。狂気の気。皆、気の流れで、身体だけでなく、心も左右される。気が落ちれば、気落ちする。気が上れば、上気する。気が浮つけば、浮気となる。気というのは押し込めることはできず、自然と散逸する。これを気が散るという。死ぬと身体から魂が抜けるとよくいう。魂を気と考えると、気を使った言葉がある程度理解できる。しかし、荘子の気は、生死を左右する気である。身体を構成する元素。心を左右する脳内を飛び交う電気信号。心に起こる欲望も、気の流れを妨げる。仏教の瞑想も、気の流れを妨げない修練のように思える。インド思想とタオの関係も、おそらく深いところでつながっているように感じる。