TaoChat@1159編集後記

湘南地方は雪に降られることなく、晴天が続いている。中国地方、北陸地方など日本海側では、大雪に見舞われている。水道管が凍結して断水のところもある。被害に会われている方々にお見舞い申し上げます。一日遅れの編集後記です。この一週間の出来事は、ドイツ・アメリカなどのNATO諸国がウクライナに戦車を提供することになり、ロシアの侵攻を止める力になることが期待されている。しかし、その数は数十両のレベルで、しかもこれから訓練を始めるというのろさで、ロシアにとっては当面の脅威にもならないと思われる。ウクライナにとっては、ロシアの戦力と均衡を保ちながら、ゆっくりと領土奪還する作戦がベターなようだ。ロシアは超音速ミサイルでキーウ攻撃の行ない、性懲りもなく非戦闘員の虐殺を行なっている。非道一本道のならずもの国家ロシアの攻撃を弱めるには、自然の怒りによりモスクワに隕石が落ちるかして、戦争などしている場合でない状況が発生するしかない。人類の愚かな行為をやめさせるには、自然の力により、愚かさに気づかせてもらうより方策はないのか、とつい思ってしまいます。

今回の言葉は、「列子」よりいただいた。帰人と行人の対は、死生観そのものが現われていて、最近読んでいる本、「死の講義」の内容にもつながるかなと思い選びました。死んだ人を帰人と呼ぶのは老荘的です。自然のなかのものごとは必ず原点に戻るというのが老子の考えです。春夏秋冬のように春から始まって春にもどるように。生きている人は旅を進む人、つまり行人と呼べるわけです。ひとつの個体としての個人は、誕生という原点から出発して、死という原点にもどる円運動を遂げる。種として人類は、原点において個体は他の個体に生をバトンタッチして、円運動を繰り返す。仏教の輪廻は、同じ個体が円運動を繰り返し、一段ずつ高位の覚りに近づいていく。老荘には輪廻という考えはないので、現世における一回限りの生を充実しようとする。列子のことばをきっかけにして、生死のさまざまなイメージに思いをはせました。