TaoChat@1179編集後記

先週土曜日は大学教養学部時代のクラスの同窓会があった。2週続きで週末の上京だった。というわけで、メルマガ原稿は事前に書き、配信予約をしておいた。天気にも恵まれ、大学構内の散歩も出来た。コロナを挟んで、7,8年ぶりの再会だった。大半は70を越えたので、自分を含め、高齢化を実感した。しかし、酒量の方は衰えず、正午に始まった1次会の後、4人で、夜9時まで飲んでいた。4次会までやったのは、後にも先にもはじめてだが、悪酔いしてなかったので、よほど話が弾んだようだ。

 この一週間のニュースは、何と言っても、14日に起きた、陸自射撃場で起きた、上官射殺事件である。容疑者は自衛官に任用される前の候補生だから、上官というのは正確ではなく、教育官といったほうが正しい。自動小銃を持たせての射撃訓練中だったので、被害者3人でうち2人は死亡した。候補生に実弾射撃をさせていたことが驚きだった。警官でも採用されてから射撃訓練をしているのに、自衛隊は採用前に射撃訓練をするのが妥当かの議論は起こると思う。自動小銃なので、被害者は一度に大量になる恐れもある。容疑者の犯行理由はまだよくわかっていないらしい。同じような事件は過去にも起きているので、やり方を変えないと今後も起きる可能性がある。

 今回の言葉は、駆け込みの原稿書きとなったので、「菜根譚」からいただいた。うじ虫から始まることばで、老荘的味わいの深いことばであります。見かけに惑わされると、本当の価値を見失う。企業の人事部採用課の人間なら、見かけの異様さで人間を判断すると逸材を見落とすことになるので、忘れてはならないことばである。光輝くものは闇から生まれる。光を有とするなら、闇は無となる。大宇宙を考えるなら、創世記に書かれるように、光から万物は生まれた。光はビッグバンでもあり、宇宙創成の前に闇があった。しかし、この光もいずれは闇に飲み込まれ、それが宇宙の終焉となる。そこまで、「菜根譚」には書かれていないが、「老子」には有無相生と記される。永遠の存在はなく、生成消滅を繰り返す。それがわかっていれば、いずれ消滅する、狭い地球のうえで、戦争をする勇気は生まれないはずである。少しでも地球環境の保全に向けて努力を惜しまないはずである。