TaoChat@1178編集後記

今朝は晴れていたが、昼過ぎから曇りに変わり今にも雨が降りそうな天気である。朝に洗濯物を干したものの、湿度が高いせいか、6時間経っても乾ききっていない。やはり梅雨の気候である。孫娘がやってきて祖母と一緒にお菓子作りに精を出している。私は夕方6時から大学時代の運動クラブのOB総会が東京であるので何だか落ち着かない。コロナで会えなかった期間を挟み、同期の連中に10年振りに会うことになり、積もる話も多い。この一週間のニュースは、ウクライナのダム決壊のニュースはショックだった。国民がどんな被害に遇おうとも、プーチンは平然としている。それどころか、ロシア国民も沈黙を保っている。近隣のクリミアにはロシア国民もいるわけだが、これまただんまりを決めている。何か言えば、拘束、拷問が待っているためであろうか? この戦争の行き着く先は核兵器使用もありかと案じてしまう。次にショックだったのは、ボサノバの女王、アストラッド・ジルベルトが82歳で亡くなったことである。ボサノバ・ファンになったのは大学受験の頃だった。渡辺貞夫がJUNかVANの番組でボサノバを吹き、なんて軽快なリズムだと驚き、すぐにボサノバに引きこまれた。ラジオでスタンゲッツとアストラッド・ジルベルトの曲を聴き、LPをすぐに買い何度も何度も聴いた。ボサノバを聞くと、ブラジルを思い浮かべ、イパネマやコルコヴァードをイメージする。暗い気持ちがドライなメロディーで癒される感じがある。思い出のアストラッド・ジルベルトがこの世から消えることがなぜか耐え難い。自分も70歳を超え、鬼籍に近づいたともいえる。アストラッド・ジルベルトの死亡記事の隣りに栗田勇氏の死亡記事も出ていた。栗田勇氏の「一遍上人」の本は、面白かったという記憶があり、それ以降、栗田氏のファンになった。宗教者に関し独特の理解があり、それをわかりやすい言葉で読者に伝える技に長けていると感じた。「一遍上人」をきっかけに「一遍聖絵」を読むことになった。

今回の言葉は、老子からいただいた。この言葉は、実生活の中で常に見られる傾向をうまく表わしている言葉だと思う。あんなに幸せだった結婚生活もささいな気持ちの食い違いから終焉を迎える。つい昨日、韓国ドラマ「夫婦の世界」が終わった。これも過ちを犯したあとにどう振舞うかで、食い違いが増幅されるか、あるいは収束するかが決まることを教えてくれる。太古の昔から今日に至るまで戦争がなくならないのも、信頼感の溝がささいなことから生まれ、それを軽視し、溝が増幅され、あとに戻れなくなって一線を超えることから起きているように思える。戦争を始めるときは簡単でも、一度始めると収束するのが難しい。勝った時は国民から評価されるが、負けた場合国民から非難されるので、一方的に負けたといえない負け方を戦争を始めた人間は狙うからだと思う。一言で言えば、体面を保った治め方をするからである。

老子は、そんな苦労をするくらいなら、溝が広がらないうちに溝を埋める努力をしろという。そのためには、今小さく見えている溝はそのままにしておくと必ず広がってしまうという危機感を常に抱けということになる。これが非常に難しく、人の常として、溝を軽視してしまう。日常身の回りに、同じようなことは多々ある。溝をどう埋めるかが、人間関係、社会関係、国家間の関係において、非常に重要になってくる。さらに、プラスの側面とマイナスの側面を同時に考慮して、溝の埋め方を考える必要もあるので、一層難しさを増す。