TaoChat@1180編集後記

今回も遅れての編集後記になってしまいました。メルマガ作成後、車を車検屋に持っていかなければならず、ごたごたしたためです。車といえば、確かに持っているとそれなりに便利だが、乗らなくても維持費がかかる。車で出かけることが少なくなり、走行距離も、2018年6月に購入して5年経つが2万キロそこそこである。今回の車検ではシャーシーさび止めやバッテリー交換を行なった。たまにドライブに出かけないと、充電不足になってくる。買い物と通院や駅までの送迎しか使わないと、軽自動車で十分かと思ってしまう。

今週のニュースは、ロシアのワグネルのモスクワ進撃が大きい。プーチンの片腕だったプリゴジンというワグネルの親分が、プーチンに反旗を翻して、モスクワに進撃したが、見かけ倒れに終わってしまった。ロシア正規軍ではなく民間の傭兵組織だったので、ウクライナ侵攻のときは利用し、役に立たなくなったら使い捨てという、プーチンのおもちゃに終わってしまった。プリゴジンベラルーシに亡命したようだが、いずれKGBにより放射能物質で暗殺される身になるだろう。うれしいニュースでは、エンジェルス大谷選手のホームランが止まらない。いつも見ていて驚くのだが、弾道が一直線にスタンドに突き刺さるようなスピードである。観客も思わず、カモーンと言ってしまう。ピッチャーと二股なので、タフでないとやってられない。すごい成績の陰で、すごい努力を積み重ねていて、それが表に見えないのがまたすごい。

 今回の言葉は、「無門関」からいただいた。音は波動によって耳に届く。しかし、禅宗では、耳が波動となって、音に届く。耳が波動になるとはどういうことか? 自己拡張により、音源に寄り添うといってもよい。音源は自然が発するリズム。例えば、自分の鼓動を聞く。鼓動は、生まれてから死ぬまでずっと、自分の心臓が発している音である。鼓動を聞く耳は、心臓の動きを見つめる。それが自己拡張して、音源に寄り添うことだと思う。自分の生を支えているものをありがたく受け止める。心臓はどこから生まれたのか? 心臓は受精したときから生まれ始めている。受精は偶然の連鎖から生まれている。自分がここにあるのは幸運のお陰であるということが、音源に寄り添うことで実感できる。「無門関」はそんなことをそれとなく語っているようだ。