TaoChat@1152編集後記

@1152のメルマガを発信してから、だいぶ遅れての編集後記である。山口県と福岡県に旅行に出ていたためである。昨日は門司で雪に降られた。全国的に寒かったようだ。

幕末の尊王攘夷運動の中心的な役割を果たしたのは長州藩だが、明治維新で政権を握ったのも長州藩である。安倍元首相の出身地も山口県長門である。吉田松陰松下村塾も志士の多くを生み出した。そんな歴史的な地を訪れるのが今回の旅行の目的だった。辺境の地から日本を変える力が芽生えるのは歴史的必然と思われる。政治経済の中心にいても、変革の底力を持つ者は生まれない。ナポレオンしかり、フビライしかりである。

実際に松下村塾を訪れると、狭い空間に身分を問わず多くの塾生が、先生の講話を聞きている場面が浮かんでくるようだ。耳で聞いて頭で考えて、思想を理解する。教育の原点は人から人への伝承だということが理解できる。

この一週間は私的には忙しかった。公けの出来事は、防衛費増額に伴う増税が話題になったが、防衛も兵器に金をかける前に、人の教育が大事になる。ウクライナの防衛戦争を見ても明らかだが、兵器が足りなくても国を守る意識は、国民全体が持っている。一方、日本では、自衛隊日米安保で米軍が救ってくれると国民の意識が低い。最新兵器を幾ら持っていても、実際に使えなければ宝の持ち腐れとなる。国民の国防意識を教育することが先決となる。国防意識は武器だけでなく、機密情報の取り扱いを厳格にすることを含む。最近の裁判所は最高裁判所を含み、裁判文書の扱いがずさんで、大事な文書も廃棄する事件が多発している。重要な文書を残すということは、国民の教育の原点となる。政治はとかく機密文書を隠し、そんな記録はございませんという。沖縄への核持込みの密約はアメリカの公文書の開示で明らかになった。国民に情報を隠し愚民政策を推し進めるというのが日本政府の手口だが、防衛も行政も司法も今なおこの手を使っている。日本がミサイル攻撃を受けたとき、どのようにして身の安全を守るかという教育すら行なわれていない。

今回の言葉は荀子から選びました。遇と不遇は時也。なかなかいい言葉だと思います。

腐らず時を待て。織田信長徳川家康もみなこの言葉を信じていたと思います。人間万事塞翁が馬につながる言葉でないでしょうか? 遇と不遇がめくるめく変転するからこと、一喜一憂することなくじっと鍛錬し、期が熟すまでこらえる。別に英雄のみに当てはまる言葉ではありません。日常の一面一面で経験する言葉だと思います。