TaoChat@1151編集後記

12月に入って肌寒くなった。今日もセラミックヒータを使って部屋を暖めている。政府からは節電要請が出ているが、いま居る部屋だけは暖房に頼っている。明日は5回目のコロナワクチン接種を受ける。いまだに感染死者数は相当数いるので、重症化を抑えるためには一応受けておくことにした。国産ワクチンの方はまだ出てこないのが不思議でならない。日本の医薬技術は世界トップレベルから相当遅れていると思わざるを得ない。いまだにファイザーやモデルナ頼みである。

この一週間の出来事は、何と言っても、サッカーW杯でのスペイン戦での勝利である。コスタリカ戦で惨敗し、最早予選敗退かと思ったが強豪にはファイトを燃やすようで、伏兵の活躍でスペイン撃破し、予選を1位通過した。クロアチアも強豪なので、是非闘志を燃やして欲しい。個人的には、ジャック・ロンドンの「白い牙」(新潮文庫)を読んだ。この本は、柴田先生と、村上春樹さんが、「本当の翻訳の話をしよう」で推薦していた本で、野生のオオカミが人間の社会に溶け込む過程を、オオカミの視点で書かれた物語で、面白かった。柴田先生と村上さんが翻訳のうまさを語っていましたが、話に引き込まれてしまう点で、その素晴らしさが現われていると思います。翻訳者は白石佑光氏で、昭和33年に初版が出ているので60年以上前の訳ですが、決して古さを感じさせません。それどころか、自分がオオカミになったような気分にさせてくれ、リズミカルな訳なので、どんどん引き込まれていきます。野生さを失わずに、人間をどう捉えて、妥協していくのかが描かれ、原作者のオリジナリティに驚くばかりです。

今回の言葉は、荘子より選びました。知北遊篇は秋水篇とならび、素敵な内容を持っていると、森三樹三郎先生もおっしゃっています。人の生は、白馬が通るのをすき間からのぞくようなものという言葉です。ほんとに束の間のことだけれど、生きていることを直視するたとえとして的確な表現だと思います。間隙から白馬の通過をながめても、一瞬のことだから、白い何かが一瞬通り過ぎたことしかわからない。人の生は、何になったとか、何を得たかは問題ではない。どのように生きたのかが問題となる。白馬とは、純粋な魂のたとえのように感じた。純粋な魂が一瞬を駆け抜けることが生きるということのように感じた。サッカーの試合を見ていて、荘子の言葉と符合すると思いました。

堂安選手が同点ゴールを2回も決めたのは、自分ができることをひたすら実行していくという魂が、ボールに乗っていった結果、ボールがゴールに吸い込まれたように感じました。これもサッカー選手の生の証しでしょう。いいかえれば、サッカー選手の生は、白球が通るのをすき間からのぞくようなものです。そこには、堂安選手にボールをつないだすべての選手の魂がそこに乗っているはずです。そう考えると、荘子の言葉は奥行きがでてきます。ボールの扱う技術のうまいへたはあるでしょうが、そこにどれだけ魂を寄せるかで、ボールの軌道は変化していくはずです。サッカーの試合では、そういう場面が多く見られるのが楽しみのひとつであるように思いました。