TaoChat@1126編集後記

梅雨入りした天気である。曇り空で雨は降っていないが、湿気がある空気が漂うのを感じる。二階から庭の紫陽花を見下ろす。繊細な彩りに感動する。自然美の恩恵に勝るものはない。メルマガで紹介した句も田植えに関する、蕪村の句である。田植えの光景もまた自然美の一つである。苗が五月雨をいただいて、夏の日差しをいただいて、立派な稲に成長する。その成長の光景すべてが、自然美の恩恵である。

この一週間の出来事は、黒田日銀総裁が、家計は値上げを受け入れているという発言で物議をかもし、謝罪に至っている。この人何が言いたいのと思ってしまう発言ですが、長年総裁の地位にいると、庶民の事など忘れてしまうのでしょう。何故物価が急上昇するかというと、円安になり、輸入価格が上昇し、物価上昇になったため。なぜ円安になったかというと、日銀が金融政策を誤り、異次元の金融緩和を続けているため、金利の高いドルに資金が移動しているからとなる。何年前だっただろうか、黒田総裁と安倍首相が異次元の金融緩和で、国債を乱発し、市場に金をばら撒き、金利なしに企業に借りさせ、給与を上げさせ、経済活性化を図ろうとした。ところが、企業は金を借りず、給与は上がらず、経済が停滞したのが、この20年間。コロナ禍が終わって、海外では需要が供給を上回り物不足となり、物価上昇するから、金利を上げて、通貨供給量を減らして、インフレを抑えようとする。それに反して日本は、金利を上げずに通貨供給量を増やし続けるため、インフレは制御できなくなる。追い討ちをかけるようにウクライナ侵攻で、市場に物は出回らくなり、海外からもインフレ圧力は増す。このように日銀は過去の愚策を相変わらず続けるため、にっちもさっちも行かなくなる。その挙句の黒田総裁の弁は、日本国民は愚民でインフレ許容度は高いといったようなもの。まあ、国の愚策は、税率アップや社会保障費の削減により、常に国民の犠牲で賄われることになる。

ウクライナ戦争は、東部ルハンスクの攻防でウクライナ軍が苦戦していて、セベロドネツク撤退を余儀なくされている。ロシアとの戦力の劣勢はいかんしようもないが、気力でもっているようなものだと思う。ボクシングで言えば、ボディにパンチを浴びすぎてダウン寸前の体である。セコンドがタオルを投げ込む寸前かもしれない。

今回の言葉は、蕪村の句をいただいた。離縁された元妻が田植えをしている情景を思い浮かべた句である。不謹慎かもしれないが、かつてのロシアとウクライナは夫婦の関係だった。夫ロシアのDVに愛想が尽き、妻のウクライナは離縁状をたたき付けた。(ここは句と異なりますが) しかし、世界一の穀倉地帯であるウクライナは、世界の食糧事情を鑑みて、ロシアと共同作業で、戦争の終結を模索しなければならなくなった。いわゆる田植え作業である。作業の相手はかつてのDV夫である。なにかと言うと暴力で思い通りにすませようとする知性のかけらもない男。ひとの家に土足で入り込み、あたりをぶち壊し廃墟にし、家財道具を略奪した、野蛮な人間である。チェチェン村やジョージア村では野蛮非道な行為を繰り返してきた。そんな男と共同作業し、世界に貢献しなくてはいけない状況である。理不尽さをぐっとこらえて、世界平和に貢献しなければいけない。身を踏み込んで、という表現がふさわしい、苦渋の決断をしなければならない状況をうたった句のように思えてしまった。この句を見つけた、ドナルド・キーン氏の「正岡子規」は、なかなか面白い。高浜虚子の「回想子規・漱石」はすでに読んでいて、師子規に後継者を託された虚子が申し出を断ったシーンが書かれていた。キーン氏の本にも同じシーンがあったが、子規が友人に出した手紙を参照して、客観的に子規の心情を洞察している姿勢はさすがだと思った。