TaoChat@1123-1124 編集後記

先週は土曜日はメルマガ配信後、外出したので、編集後記をパスしました。

今回、@1123および@1124の2回分の編集後記をまとめて書き込みます。

今日は朝から日差しが強く、気持ちのよい一日でした。

この二週間のうちに、ウクライナ戦争は、マリウポリが陥落し、東部ドンバス地方の攻防が激化しています。ウクライナNATO諸国から武器供与は受けているものの、ロシアの兵力集中化により、思うように戦果をあげていないようです。ダボス会議キッシンジャーが、クリミアを含め、開戦前の実効的なロシア領土の割譲をウクライナが認めるべきと発言しました。キッシンジャーが何を考えてそのような発言をしたかはわかりませんが、他国に対し安易な解決案を提示したのは明らかで、それを聞いたプーチンはどう反応したのでしょうか? キッシンジャーは元外交官なので、どこまで戦況を分析した上での意見なのか疑わしい限りです。クリミア、ドネツク、ルハンスク州を自治区として認めるくらいが停戦合意条件として精一杯のような気がしていました。中国における、新疆ウイグル自治区は名ばかりですが、ウクライナは親ロシア派の自治は認めてもいいのではないかと思います。UKのスコットランド自治政府と同じような立場です。戦争により国の未来を支える若者が死んでいくのは、ロシアでもウクライナでも見るに耐えません。

前回の言葉は菜根譚から、今回の言葉はパンセからいただきました。

菜根譚の言葉は、この世は幻のように混濁しており、真実は自分の手で掘り出さねばならないというもの。

パンセの方は、本棚を整理していて見つけたもので、文庫本をぺらぺらめくって、自然に関する言葉を選びました。

老子の自然観と似ているところがあると思いました。

自然は絶えず同じものを繰り返す。無限に繰り返すが、有限のパターンの繰り返し。老子が見る自然も同じような姿であったはず。現われては消え、現われては消える、泡のような存在の繰り返し。泡の存在は有限ですが、泡はつながっており、あたかも泡が河の上を流れていくように見える。無限の動きの一端を担うのが、個体の有限の生というイメージが浮かびます。