TaoChat@1125編集後記

昨日の天気は不思議だった。午前中は良く晴れて、洗濯物が良く乾き、午後一時を過ぎた頃、晴れているのに雨が降り出し、また止み、空は晴れたまま。そのうちに曇りだし、大粒の雨が降ってきた。洗濯物は予報に従って、一時には取り込み濡れずにすみました。ニュースを聞くと、ひょうが降ったところもあり、車のガラスが割れる事故もあったようだ。でも4時ごろにはまた晴れて、空気も冷やされたようで気持ちがよかった。一日のうちで、気象が目まぐるしく変化した。

この一週間のニュースは、元日本赤軍幹部の重信房子氏が刑期を終えて、しゃばに戻られた。実行犯ではなかったがハーグ事件への関与を問われ懲役20年の刑に服した。どのような経緯でこのような人生を送ったのか関心が尽きない。自分の世代は学生運動の只中だったので、それに身を投じた人間の思考過程には興味がある。ウクライナ戦争のほうは、セベロドネツクの攻防が続いている。アメリカは武器供与の意向を示しているが、まだ届いておらず、ウクライナの苦戦は続く模様である。一方、ロシア側は経済制裁のほころびを狙って、天然ガス供給の停止を各国に通知している。NATO加盟国からの停戦合意の声は、プーチンの逆制裁にあえぐ声に見える。

今回の言葉は、老子から選んだ。大国の振る舞いに関する言葉である。この言葉はこれまでに何回もメルマガに載せた言葉だと思う。始めは、アメリカのイラク戦争のときに載せた。核兵器開発を理由にイラクを攻めて、フセイン政権を倒したのち、核兵器はなかったとしらを切ったアメリカである。この戦争でイラク市民は10万人超が亡くなった。大国が力で小国を制圧する姿はいまなお続いている。老子は大国の振る舞いは、大河の下流のように、低きに身を置けという。内なる力は、脅しのために使ってはいけない。世界の秩序が維持できるように役立てなくてはいけない。今回のウクライナ侵攻は力の使い方が、ことごとく裏目に出ている。ウクライナの穀倉地帯の農耕機械を略奪し、収穫物を略奪し、公共施設を破壊し、文化施設を破壊し、住民を殺戮している。ロシアが大国としてのプライドを示すなら、軍事力は使えなかったはずである。小国から尊敬を得たいなら、小国のプライドをまず尊重しなければならない。クリミアの略奪は、小国のプライドをずたずたにした。それに輪をかけて今回の侵攻は悪乗りそのものである。停戦の条件は、クリミア侵攻以前の状態に戻す事が基本になるといってもよい。老子の言葉は、大国が忘れていることをずばり指摘した言葉であると考えます。力ある者は、大地を支えるように低きに身を置き、力の使う道を思考する。