TaoChat@1120編集後記

今日は朝からばたばたして、メルマガ発行が遅れてしまった。申し訳ありません。天気のほうは、晴れていますが少々肌寒いです。昨日は雨だったので歩けず、今日は歩きに出かけたい。

この一週間は、ウクライナでは国連事務総長がロシアとウクライナを訪問し、人道回廊への国連の関与を申し入れた。プーチンには細長い机の端に座らされ、声が届くのか心配になった。キーウ訪問中にキーウ市内にミサイル攻撃があり、ロシアの国連を馬鹿にした態度が世界中に明らかになった。プーチンは最早何も恐れるものはないといった態度である。平家物語には驕る者は久しからずとあるが、プーチンを落とす者は誰なのだろうか? もし居るなら、彼は世界の英雄になる。

日本では、知床半島の観光船が遭難し、多数の死者が出た。船は荒海の半島に出かけ、ついに帰らなかった。観光船の会社と無線連絡も取れない状態で出かけたのだから、責任は大きい。観光客の身になれば、はるばる知床を訪れ、絶好の機会だから出航を望んだかもしれない。しかし、命を落としてまで行こうとは思わない。おそらく、これまで危ない天気でも大丈夫だったという経験があったので、出航したのであろう。ヒヤリハットを見過ごしたことが重なり、重大事故に至ったと思われる。消費者の側からすると、危ない会社はリストアップして欲しい、あるいは、危ない目にあった消費者は声をネットに残して欲しい。

今回の言葉は、老荘の死生観を列子より選んだ。ウクライナといい、知床といい、死は身近にある。突然ミサイルが飛んできて、幼子と母親が死に至る。知床では観光船が沈没して、乗船客が溺死する。ライフジャケットを着ていても、低体温症で意識がなくなり溺れる。列子は、生まれるのは宿から出ること、死ぬのは宿に帰ることという。人間みな、宿から宿に旅をするのが生きることという。宿に帰るためにも、それなりの準備が必要だという。どのように死にたいのか?をあらかじめ考えておく。ウクライナの従軍兵なら、ウクライナの自由と独立のために死ぬのが、宿に帰ることになる。自分なら少しでも家族、社会、世界の役に立てるよう死ぬというのが宿に帰ることになる。