TaoChat@1139編集後記

今日は朝から曇っている。昨日は一日暑かった。一日ごとに秋が始まっているように感じる。暑い中を歩いていても、もう蝉の声は聞こえない。あんなに大きな声で鳴いていた蝉も今はこの世から消えている。しかし新たな生命はすでに誕生して数年後に生のメロディーを奏でる準備を始める。生き物の世界は厳しい掟のもとで着々と命のバトンをつなげる。編集後記は、なんだかんだで今日まで遅れてしまった。

この一週間の出来事は、英国でエリザベス女王が亡くなり、チャールズ3世国王が誕生した。1948年生まれの73歳ということだが、お顔はちょっと老けているように思われる。矢沢永吉さんが1949年生まれの73歳だが、永ちゃんの顔に比べても老けている。ダイアナ妃を亡くされて苦労されたためかもしれない。日本の皇室と英国の皇室の違いの一つは、王位を継ぐのは女性でも男性でもよいということである。日本でも昔は女性も天皇を継げたが、明治の王政復古の際、万世一系を打ち出し、男性天皇に制限する事が現在まで続いている。つまりは、大日本帝国憲法の第1条を今も踏襲している。今の憲法は、天皇が国家統治するところを天皇は国家および国民の象徴であることにした。GHQが戦争を引き起こした一因である天皇制にもっと踏み込んでいれば、女性天皇の道が開かれたかもしれない。この一週間は個人的には、大岡昇平氏の「俘虜記」を読み終え、村上春樹氏の「羊をめぐる冒険」を読みえたのがトピックとなる。「俘虜記」は、米国の捕虜兵の扱いが、きわめて穏便で収容所のなかでの労働に対し、報酬を与えていたことがわかった。今のウクライナ侵略における、ロシア軍の拷問とはひどく違っている。ロシアの捕虜に対する扱いは、近代以前の人権無視のもので、それが現代社会で公然と行われいることに無力感を感じる。拷問は軍人だけでなく、一般市民にもなされているので、戦争犯罪として解明する必要がある。「羊をめぐる冒険」のほうは、けったいなストーリーだが、羊が何かの象徴であることはうかがわれる。体のなかに羊を取り込むことで、羊の意のままに動かされていく。用がなくなれば、羊は次の寄生先を見つけ、羊が抜けた体は死を迎える。羊を取り込むことで、人間は強大な権力を手中にする。プーチン習近平も羊に取りこまれた人間に思えてきたのが面白い。そのなかで、羊男の存在は面白い。羊に取り込まれた風体を装いながら、羊の意のままにならずに済む存在である。権力に流されつつ、魂まで権力に奪われない存在。これがロシアにも中国にも沢山いることを信じたい。

今回の言葉は、「新古今和歌集」より選んだ。動機はなにもない。俳句はよく取り上げるが和歌は余りない。歌には、詠む人の気持ちが込められる。古代の日本人の気持ちに時々触れたくなる。今も残っている、そんな感性を再確認したくなる。今回の言葉には、悲しみに共感するこころがあふれています。返歌は、「一人にもあらぬ思ひはなき人も旅の空にや悲しかるらむ」である。これも胸を打つ。あなたの共感する心に、死んだ妻も旅の空で悲しんでいるでしょう。野辺の煙になって空に旅立つ妻の心を思い浮かべた歌になっています。