TaoChat@1118編集後記

朝から雲行きがおかしい。洗濯物を干したら雨が降り出し、取り込んだら、次第に雲間から光が射し出し、また外に干すといった按配である。今は多少青空も見えている。庭の木も緑が鮮やかになり、ツツジも咲き出した。自然のめぐりだけは確かなようである。この一週間は寒暖の差が日ごとに変る一週間だった。

ウクライナの情勢は、ロシア軍が東部ドンバス地方に兵を移し、一帯を攻略する勢いである。プーチンウクライナを東西に分断するつもりなのか? 東西ドイツの分断を再現するのか? ジェノサイドを躊躇なく実行する、ヒトラーに迫る戦争犯罪人となっている。国連すら無力で、彼を止める者は誰もいない。神が彼に死を与えるしかない。なすべきは、ウクライナが善戦し、それを世界が支援するだけである。東大入学式スピーチで河瀬映画監督が、「ロシアという国を悪者にすることは簡単である」と切り出したことは話題を誘った。これは自分たち日本もロシアと同じ事をするおそれがあることを指摘したものだと思う。ロシア軍の大量虐殺を肯定するものはプーチンとその賛同者以外に誰もいない。ひとこと付け加えるなら、川瀬監督にはロシアは侵略を繰り返す悪者であるとまず言って欲しかった。それを悪者で終わらせたくないといえば済んだ話である。

今回の言葉は、ショーペンハウアの言葉を取り上げた。人生をモザイク画にたとえたのは、センスがよい。富を海水にたとえたのに匹敵するセンスのよさである。人生だけでなく、歴史もそうかもしれない。ユダヤ人の大量虐殺や、広島長崎への原爆投下という悲劇のモザイクは、国連という希望のモザイクで補われたかに見えたが、今回の戦争で、無力のモザイクである事がわかった。武力は武力で対抗するしかないという大戦以前の世界にもどった感じである。この世に正義と悪しかないという積もりはない。しかし、自分の欲望を果たすために殺戮が許されると思わせてはならない。人類が今まで存続してきたのであるから、モザイクは途中で消えることなく、つながってきたのは確かである。悲劇のモザイクで将来もつなげていくなら、ショーペンハウアの言葉ほど我々を勇気付けるものはない。悲劇のモザイクで続くとしても、その闇の間に輝く微かな光ほど、人類に希望を与えるものはない。