今日は曇り空だが雨は上っている。
九州熊本では大雨で大変なようですが、災害が起きないように願う限りです。
地震雷火事おやじというのが怖いものの代名詞でしたが、今は、地震大雨火事コロナになっているような気がします。
この一週間のニュースで、ぎょっとしたのは、ロシアで、大統領任期制限撤廃の法案が通り、2036年までプーチンがロシア大統領として君臨する可能性が出てきたことです。
今67歳だから83歳まで、ロシアを支配する帝王に君臨することになる。
さすがにKGB出身だけあって、お膳立てだけは秘密裏に進めたのでしょうね。
ロシアといい、中国といい、北朝鮮といい、独裁国家との付き合い方を日本は勉強する機会が増えそうです。
今回の言葉は、禅林句集から選びました。
これからの日本は、ますますストレスが大きくなる社会になりそうな気配がします。
新型コロナでその脆弱性が露呈しましたが、未だにPCR検査が定着しておらず、感染者が誰なのかわからない状態で日々暮らしています。
半ば、国民の良識でこの国の安全が守られている状態です。
そんなストレスの大きな世に対して平常心を保つには、心の修養しかもはやありえないと考えています。
そういうときに生きるのが、禅の心です。
2020年は鈴木大拙氏の生誕150年の歳でもあり、禅の心を今一度見直す歳でもあります。円覚寺の横田老師の法話をYOUTUBEで見ることができ、禅の心のイロハを知る事ができます。
今回の禅語は臨済録からの言葉で、横田老師も円覚寺サイトで説明されています。
家舎と途中という語句を用いて、修行のプロセスを語っていると考えられます。
途中に居て、途中に居ない。
禅問答のような言葉です。
途中という言葉には、甘えの気持ちがある。
将来というものがいずれやって来るという甘えである。
禅では、毎日毎日が今と考え、将来に期待しない。
今を大事に生きる。今現われる仏性に導かれて生きる。
そこには時間が無限にあるという意識はない。
刹那、刹那の生き方を大切にする。
コロナの感染者数を公表しても安心は得られない。
個人個人が感染しないように最大限の努力をするしかない。
努力の源泉は、仏性に導かれて生きているという自覚しかない。