TaoChat@1105編集後記

新年が明けてから、もう半月が過ぎた。光陰矢の如しを実感する。

今日もよい天気である。つい先ほど買い物にでかけたスーパーの屋上駐車場から見える富士山の美しさを思い出した。雪の衣をまとう富士の姿は神々しい。神を宿す山といってよい。この一週間の出来事は、オミクロン感染者の爆発的な増加といってよい。重症化するケースは殆どなく、海外でも時間稼ぎをして自然消滅を待つ戦略が採られている。日本でも以前のデルタ株に比べ対応はゆるやかになっている。Withコロナは、その時々のコロナの特徴に応じた柔軟な対応を採るしかないように思われる。過剰反応も禁物で、コロナ慣れが産む油断もまた禁物になる。

今回の言葉はヘミングウェイの言葉である。ヘミングウェイの小説は「日はまた昇る」「老人と海」「移動祝祭日」と短編集を読んだ。表現は簡潔でストレートだが、そこに繊細な面がにじみ出ており好きな作家である。

Now is the time to不定詞は、今こそ~すべきときという構文だが、Now is no time to不定詞に変えて、今は~すべき場合ではないと訴える。今をどう生きるべきかを教える。

The world is a fine place and worth the fighting for.

と別の場所で言う。この世は素敵な場所でかつ闘う価値のある場所でもある。

つまり生きるとはこの世で闘うことである。誰と闘うのか? 自分と闘うわけである。

You can’t get away from yourself by moving from one place to another.

闘いから逃げようと場所を移動しても、自分自身から逃げることはできないという。

では闘う武器は? そこで今回の言葉に立ち戻る。

闘いが始まった今、自分が今持っていない武器のことを考えるのはやめよう。

自分の目の前にあるものを使って、どう闘うのか考えることに集中しようという。

こういった考えはヘミングウェイの波乱万丈の経験から生まれた。

だが非常に残念なことに、目の前のライフル銃で自らの闘いに終止符を打ってしまった。