TaoChat@1048編集後記

この一週間は、東京のコロナ感染者が600名を超え、全国の一日の感染者が3000人に近づいている状況下で、医療崩壊があちらこちらで起こりつつある。高齢者の感染者も増えている。先週来年の就職先より呼び出されて東京に行った。2ヶ月振りである。

朝九時台の電車は席は埋まっているものの、座っている前に人が立つことはない。

満員電車はさすが怖いが、前に立つ人の飛まつが頭にかかることはないので、大分安心である。イギリスやロシアではコロナワクチンの接種が始まったようで、副反応がちらほら出ている。どの程度の抗体ができるかわからないが、重症化を防ぐ効果があるだけでもありがたい。東京都はオリンピックをやるような積もりだが、選手だけでなく海外から観客が日本に集中するとなるとワクチンを打ったにしても、まだまだ怖い気がする。日本人ほどマスク会食に慣れていないので、食事時の感染は茶飯事になるというのは想像に難くない。いわゆるクラスターの連鎖である。さらにコロナに感染しても、医療体制は国内ではお手上げだろう。今でさえアップアップしているのに更に観光客が発症したら、治療は無理である。

今回の言葉は老子小国寡民である。隣国との往来がなければ、コロナの拡散は免れる。GOTOで人が活発に行き来した結果、コロナ感染者は全国に蔓延した。菅内閣はコロナより経済を優先させた。医療より経済である。

小国寡民は、自分の足元を見よという教えである。禅でいえば、看脚下である。自分が何に支えられて生きているのか見つめることである。

文明の利器により、人間はとかく自分が拡大していると勘違いする。スマホを持てばすべての情報が手に入る、自動車に乗れば、いつでも好きなところに行けるなど、自分の能力が無限に拡大すると勘違いする。しかし自分が立っていられるのは、二本の足と、足を支える少々の地面があるからである。都会に住んでいると、自分が使っているものはすべて自分のものと勘違いする。電気だってお米だって皆地方からやって来る。

小国寡民は、高齢化社会だと思った。高齢になると、人は動けなくなる。動けなくなるから隣町に行けず、生きている範囲は当然自分が住むコミュニティになってくる。

つまり狭い地域で生きていくにはどうすればよいか? 高齢化社会になると、年金額は減り医療費は高くなる。つまり、衣食住を自足し、健康を維持しなくては生きていけなくなる。幾ら文明の利器が近くにあっても役に立たず、幾らお金があっても自分が住むコミュニティとのつながりが薄ければ孤独になる。

つまり老子は、今のうちに自分の足元を見よと教える。動けなくなる自分を支えてくれるのは自分の足とそれを支える地面しかない。それらの恩恵を自覚し、それらを大切にするしかないということになる。