新年をよい天気で迎えられたことに感謝。
うちの庭には木蓮の木が立っている。
その枯葉がなかなか落ちずに何だか変だなと思っていた。
いつもなら12月末には葉はすべて落ちているからである。
葉が落ちないと、新芽は出てこない。
ところが大晦日の前夜風が吹いて、葉が殆ど落ちたのである。
今は枝に新芽が顔を出している。新年を待ちかねたように。
人は死に、人は生まれる。今年の芽は去年の芽とは違う。
しかし、木は何百年何千年も生きる。幹に刻まれる年輪は、祖先の命の証しである。
人間の営みも木と同じ面があると感じた。毎年の芽は個々の人間の命。年輪は祖先の歴史で、自分も年輪のいくつかを構成する。
今回の言葉は一茶の句を取り上げた。
一茶のふるさとは、信州信濃町柏原で、冬は雪に閉ざされる。
この句もふるさとのあばら家で迎える正月を思い浮かべたものだろう。
気に入ったことばは、「中くらい」である。
なかなか自分で狙って中くらいは実現できない。普通は一生懸命頑張ってみても、できは悪い。それが他人に救われて、中ぐらいになる。
いろんな助けを得てやっと中くらいになる。
なろうと思ってもできず、幸運が重なって中くらいになる。
去年はコロナに始まり、コロナに終わった。
今年もコロナとの闘いは続く。コロナとの闘いは自分との闘いでもある。
中くらいの健康が丁度よい。病にかかっても大事にならず、体から語りかけてくる言葉に耳を傾け、何かを学んで治癒する。それがあなた任せの生き方なのかもしれない。