TaoChat@1061編集後記

今日は雨模様であけたが、今は空が異様に明るくなり、もうすぐ晴れるよと語りかけているようである。雨は草花に立って潤いだから、雨の一日もまたよしである。

この一週間は、やはり大震災10周年である。復興はこの貴重な経験を活かしてどのように行なったが重要になる。福島原発でふるさとを追われた人の気持ちを考えるといたたまれない。家族を津波でさらわれ、まだご遺体を見つけられていない方々の気持ちを考えると、こころを強く持ってとささやくしかない。

生き残った我々は、未来をつなぐ方に少しでも役立つように今を生きるしかない。

大震災を契機に日本がどう変ったかを思いなおして、今回の言葉に至った。

明治以来、中央集権国家を立ち上げ、都市集中型社会システムを日本は構築した。

政治の中心は東京に集中し、東京から地方に資産を配分する。お上が上から目線で何事も決めていく。都市には人口が集中し、仕事も機会もそこに集中する。地方からは、食料品、水、電気が都市に集中する。それゆえ、地方は人口が減り過疎化が進む。都市の地価や物価は高騰し、所帯を持ちづらくなり独身者が増え、出生率が低下し、高齢化社会が到来する。それとともに年金問題も浮上する。地方をドライブすると気づくことだが、どんな田舎でも道路は舗装されていることである。

なぜ地方で生活する人口が減るのか? それは地方にいても、都会のワーカーと同じように仕事ができる環境がないからである。デジタル化に出遅れたために、ネットを介し、会議をしデジタル文書やコンテンツをやり取りし、仕事を完了する事ができないからである。行政手続きもハンコや紙文書をやりとりし、とにかく都市に出向かなければ、仕事が始められない。高齢者はデジタル化についていけないとうのは言い訳である。高齢者に優しいデジタル機器を開発するだけで、新たな商品が生まれ、それを貸与するだけの話である。

とにかく日本の歴代内閣が、モノの生産販売による経済成長しか考えてこなかったことによる。都市集中の弊害に気づいていないか、軽視した結果がこのような状況を招いたようだ。高層ビルを建てる事が経済成長と考えている。

豊かな生活とは高層ビルにあるのではなく、基本的に自分の家で仕事ができることにある。長い通勤時間と満員電車の毎日が仕事と勘違いしてきた。

 

上で述べた事が老子の言葉とどうつながるのか?

つまり3.11大震災とか、新型コロナとかは、日本の都市集中型社会システムにもたらした災害だが、このような都市集中指向の政策のゆがみを浮き彫りにしてくれた自然の恩恵ともいえる。その政策のゆがみを是正せずに相変わらす、既存の道を歩いてきた10年だったといえる。昨年のコロナ騒ぎで、諸外国から見ても、紙で給付金を申請したりしている日本の姿はデジタル後進国そのものだった。

田舎の道路だけはちゃんと整備されていても、通信ネットという情報の流れの道はお粗末で、そこを流れる情報を処理するアプリの性能もお粗末である。その基本には、都市集中指向で、政治も経済も教育も医療も回ってきた現実がある。地方で東京と同じ生活の質が確保できれば、美味しい野菜と美味しい魚が食べられる地方がいいに決まっている。

老子のいう、ほんとうに真っ直ぐなものは曲がって見えるとは、持続可能な社会への道は、3.11大震災とか、新型コロナとかの自然の恩恵によって浮き彫りにされた都市集中指向という歪みにいかに真摯に向き合って歪みを是正していく、曲折の道に他ならないということだと思う。親鸞聖人の道も、流罪という曲折なしに成し遂げられなかったと思う。曲折なしに、まっすぐに進める道などない。大切なのは、曲折から何を学べるかということに尽きる。