TaoChat@1060編集後記

今日は朝から曇り空だが、気温のほうは4月並みになるそうである。昨夜は雨が降り、物干し竿には透き通った水滴がぶら下がっている。

まもなく3.11大震災から10年が経とうとしている。福島の原発ではいまだに放射能汚染水の処理が進んでいない。津波で流された町の復興もまだ道半ばである。新型コロナの影響で、観光客もなかなか戻らない状況にある。とにかく復興の道は苦戦続きだが、死者の魂はわれわれを応援しているに違いないので、一歩一歩前進する以外に道はないと考える。

この一週間は、接待を受けた内閣広報官が辞職した後に、東北新社以外にもNTTからも接待を受けていた事実が明らかになり、役人の接待漬けが公然に行なわれていたことがわかる。役人には厳しいはずの菅首相も、身の回りは温室状態であった。

私的は、この一週間は、毎日朝8時から午後5時までほぼぶっ通しで働いた。これも一年の失職のブランクのお陰と感じている。多少疲れたが、仕事に飢えていた状況から、現在の職場環境に慣れようと、とにかく周りの人に聞きまくった一週間だった。そのかいあって、少しずつ軌道に乗り始めているという実感がでてきた。

今回の言葉は、大震災の鎮魂の歌を、林和清氏の著書「日本の涙の名歌100選」(新潮文庫)に求め、見出した法然の歌である。月といえば、今朝寝床で聞いた、円覚寺横田老師の第59回管長日記で、月は地球の1/4の大きさで月のお陰で地球の地軸が傾き、それが地球に四季をもたらすということだった。法然の歌では、月影は仏の慈悲の光にたとえられている。暗い闇に輝く月の光は、昔から今までこころの支えと考えられたのだろう。月の光は皆を照らすが、その光をありがたく思えるか否かで、生きる姿勢が変ってくる。月は常に満月ではなく、満ち欠けする。ときには新月となって光を失う。

月の光は無常であることを知らされる。こころの支えがどんなに僅かになろうとも、それをありがたく思う気持ちが大事になる。欠けた光はまたもとに回帰することも大自然は教えてくれる。3.11大震災からの復興はあきらめずに時間をかけて着実に前進するしかないと、月影は教えてくれる。月影の慈悲の光を信ずる、澄み切ったこころが復興を支えると法然の歌は語っているようである。