TaoChat@1132編集後記

メルマガ配信後、ばたばたしていて、2日遅れの編集後記になりました。暑い日が続き、散歩もままならない陽気です。昨日の午前歩きに出かけましたが、日差しが真上から照りつき、陰がなく暑さに耐えながら歩きました。無理すると熱中症になるなと思いながら歩きました。この一週間の出来事は、政治家と旧統一教会の関係が、国会議員だけでなく、地方の議員、首長にも及び根が深いことが明らかになっています。日本は無宗教の人が多いといわれながら、カルト教団には無用心に入る人もこれまた多い。驚いたのは、安倍さんを狙撃した容疑者の母親が、旧統一教会に申し訳ないと述べたことです。母親が申し訳ないとわびるのは、息子さんたちの方でしょう。息子さんたちを精神的に追い詰めたのは、旧統一教会への入信と度を超えた献金を切り分けられなかった母親の業でしょう。この事件で一番冷静だったのは、容疑者本人だというのは間違いありません。自分にできることを熟慮し、わずかなチャンスを逃さずに、目的を達したのですから。安倍さんの背後を守る警備官はたった一人。その上見ている方向が間違っていて、容疑者が近づくのがわからなかった。容疑者は一発目で外し、二発目で仕留められるように連発銃を用意し、散弾まで自作した。何回も試射して精度を高めた。これは冷静な仕業というほかはありません。間違っていたのは怒りの矛先でした。統一教会により破滅した境遇に置かれて、怒りを持たない人は信者以外にいません。法の範囲内でぶつけるしかありません。与党は、安倍さんの死を国葬という形で利用し、自分たちが担いできた安倍さんの業績を賛美する。マスコミや評論家は、安倍さんの業績を賛美し、容疑者を追い詰めた軌跡を探ろうとする。安倍さんに個人的な恨みはないが、統一教会への影響力を絶つためにやったというのは偽らざる本心です。この事件の核心は、容疑者と母親の関係にあると思われます。母親が統一教会から脱会すれば何も起こらなかった。そこにメスを入れずに、今回の事件を論じることは無意味になります。

今回の言葉は、韓非子からいただきました。韓非子老子を解釈した篇を設けています。水の思想を解釈した部分を取り上げました。水は生命に潤いを与えます。しかし、洪水になり大量に流れますと、人間の生命を脅かす。老子は、道は水のようだという。水の働きには見習うべきところが多い。低い立場に身を置き、見えない所で生命の営みを支える。韓非子は、道は人間がどう対処するかによって、毒にも薬にもなると解釈する。同じ箇所で、道は武器のようだともいう。(老子はこのようなこと言っていません)人間がどう対処するかによって、毒にも薬にもなるからだとする。老子は、道は人間をわらの犬のように扱うという。人間がどう対処しても、道の行き先は変わらない。韓非子は、道(水)の性質をわきまえていれば、被害にあわず恩恵を得ることができるといっているように思える。たとえて言えば、上流にダムを作って濁流を防げば、下流の洪水を抑えることができる。水は高きから低きに流れ、高きところで水の流れをせき止めれば、下流の水高を抑える事ができる。塩田から塩を採取できるのは、水は蒸発する性質があるので、海水を乾かせば塩が残るから。どうやら韓非子は、人間の動き方いかんで、道の効用は変わるといっているようだ。韓非子は、法家思想といわれ人間中心の視点で道を観る。老子は、あくまでも自然中心の視点で道を観る。人間がどう対処しても、道の行き先は変わらない。人間がどう自然から道を学ぶかであり、学んだ結果道の本質が変わるわけでもない。見えなかった道の姿が少し見えてくるだけである。