TaoChat@1056編集後記

今日もいい天気である。春一番のような風が吹いたり、桜の開花予報が出たり、今年の春は早そうである。すでに立春は過ぎたので、春は確実に近づいている。

コロナ感染も治まりつつあるように見えるが、重症者の数は減っていない。ワクチンが効果を上げているニュースが飛び込んでくる。面白かったのは、イギリスで、一回目の接種と二回目の接種とで異なる製造メーカのワクチンを接種したり、接種の間隔をいろいろずらして抗体ができるのか実験を試みるそうである。人体実験でやるやら、その結果への興味は増す。このデータを日本の厚労省が信じるかどうかはさておき、人間の体も異なるワクチンに対しある程度融通性が働き、体内に抗体を作ることができるなら素晴らしいことである。

東京五輪の開催は、全世界の指導者たちがコロナが治まらないと開催できるはずもないと思っているのに、開催ありきで話を進める日本の関係者がよからぬ発言をするために、問題がおおごとになるのは悲しい限りである。

今回の言葉は、良寛さんの詩をいただいた。

自然の草木は、コロナなど気にもせず、黙々と開花の準備を進めている。人間だけが言葉で足をすくわれ、自然の大慈悲を忘れているようである。良寛さんの詩は、言葉でわかった気になるなと教えているようである。自然の大慈悲は、言葉で理解することはできない。

大地の移り変わりの中に自分の身を置き、大地と一体になってありがたさを感じるものである。宮澤賢治の因果交流電灯の青い照明は、慈悲の光のように思えます。