TaoChat@1035編集後記

今日は久し振りに涼しい朝を迎えた。昨夜雨が降っていたので、庭の草木が潤いを蓄えたようだ。

この一週間のニュースは、自民党総裁選で次期首相候補者の政治方針が出されたことと、コロナワクチン治験で副作用者が出て一時中断したことが大きい。後者のニュースで株価が急落した。菅さんの消費税増税認容論が翌日否定されたのは面白かった。言いにくいことをいう政治家で売ろうとしたところ、自民党内から否定されて発言を翻した。官房長官にふさわしくない失言をしてしまった。世話女房はできても、首相の器にはなり切れて居ない。

今週の言葉は、荘子から選んだ。諸橋轍次さんの「荘子物語」をぺらぺらめくって、可不可一貫の章から選んだ。

この言葉は気に入っている。その理由は、生と死を的確に表現しているからである。

不妊治療の末やっと子供を授かる夫婦がいる一方、すぐに子を授かる男女もいる。

妊娠しても生を誕生させるには出産しなければならない。養育する収入がなければ出産しない場合もある。生を得るには、偶然が重なり合ってやっと実現される。

生まれたというのはそのような幸運をひきあてたという自覚が大事だという。

では、死ぬということはどういうことか? 何にもしなくても人間はいずれ死ぬ。

病気にかからず老衰で死ぬ。いわゆるお迎えが来るというのが、順番待ちの思想である。自然の流れに逆らって順番を早めることはしない。長寿社会の今、順番がなかなかやってこない。その前に、体の機能が弱まり、感染症でなくなるのが普通だろうか。

荘子の言葉は、死には自然のメカニズムが働いているから、それに従って順番待ちしていればよいといっている。他人の死に向き合うならば、その人と待ち時間にどれだけ楽しめたかによって安らぎを得る。一方、自分の死に向き合うならば、残していく人とその人と待ち時間にどれだけ楽しめたかによって安らぎを得る。

この世のどんな人間も、大塊の宿屋で待ち時間を過ごしている旅人である。待ち時間の始まりは、この世への誕生の瞬間である。

荘子の言葉は、この現実を的確に表現している。