TaoChat@1044編集後記

今年もあと一月半になった。今年の漢字は何に決まるのか楽しみである。

コロナで始まりコロナで終わろうとしているので、コロナ禍を克服する意味を込めて「克」になるのか。あるいは、自粛の「粛」になるのか。あるいはマスクの漢字の「面」となるのか。

今週の出来事は、コロナ感染者が急増したことが目立つ。

寒くなり空気が乾燥したこともあり、換気がとりにくいのと、コロナの飛まつ到達度が増すためといわれている。GOTOキャンペーンで人の移動が活性化し、北海道の利尻島まで感染者が出ている。無症状の感染者が感染を拡大させているのは間違いない。

こうなると、感染者の移動を前提にできるだけ感染しないような対策を考えなければいけなくなる。最近はマスクのほうは皆がしているので、ソシアルディスタンスがいい加減にされていることが多いように思われる。

最近、中国の選手団が完全防護服で来日した。これは自分が感染しないようにするための最善の策であると思われる。日本の場合は、ロックダウンをしないので、感染者の移動が前提となる。飛まつ対策の完全性がキーとなる。つまり、マスクを外すときに感染の確率は増す。飲み会やレストランやカラオケや散髪屋などでクラスタが起こる。こんなことは最初からわかっているが、クラスタは起こる。理由は自分が感染するとは思っていないからである。これは人間の習性だといえる。戦場でも他者の死体は見るが誰も自分が死ぬとは思っていない。これと同じである。

個人的には、昨日13日の金曜日の夜に、踏み切りで怖い思いをした。一言で言うと死に損なった。詳しくはまたの機会にするが、車が踏切内に入った時警報が鳴り始めた。行く先は車が詰まっており、車の後ろを遮断捧でふさがれた事態が発生した。幸い、車で遮断捧を押し切って退避できたが、授業料は高かった。

今回の言葉はタルムードから選んだ。昨日の強烈な経験を言葉にしたかったが、強烈過ぎて放心状態の自分には冷静に選ぶことができなかった。

タルムードには、本質を射抜く言葉が多い。すぐ目に付いたのは、

「善と悪を区別できるだけでは、まだ賢者とは言えない。二つの悪の中から小さい方の悪を選ぶことができる者が賢者である」

昨日の恐怖に当てはめると、最善は車を無傷に踏切内から脱出すること、最悪は車と共に死ぬこと。次の悪は車を放棄して脱出すること。しかし、これは大事故を引き起こし、多くの犠牲を伴う。次の悪は、車は遮断捧で損傷を受けるが、車を退避させること。20秒のうちにこの判断をとっさに行ない、車を退避させる事ができ、最悪の2つの悪を回避できた。しかし、こんなことが言えるのは、冷静になった今だからである。

結局選んだのは、老子の言葉と関連付けられた、「鶏口となるも牛後となるなかれ」の逆パターンの言葉だった。やはり、人間トップにいてもボトムにいても、謙虚さが大事だと思われる。政治の世界では強い集団に属さないと政治すら行なえない。従って、強い集団で下積みから始めるのがよい。タルムードはそれを教える。しかし獅子のかしらになったとき、どうすべきかは教えない。老子は強い集団のトップになっても、民の先を行くには、民のあとについていかねばならないと教える。

国の未来を導くには、国を支える民の後ろを支える。

民の後ろを支えるとは、コロナ下で民が何で苦しんでいるかを把握し手を打つことである。決して経済対策だけではない。無症状で感染していても移動ができ、他者を感染させない仕組みを作ることだと思う。飛まつを効果的に遮断するマスクの仕様を明らかにし、認定マークをつけることぐらいはできそうだが。