TaoChat@1030編集後記

梅雨明けし、酷暑が続いている。

お盆連休に入り、道路が車で一杯である。

何も皆で一緒に動かなくてもよいのにと毎年考えてしまう。

日本人が考えなくてはならないのは、自分の判断で主体的に動くことである。

安倍総理の言葉や政治家の言葉を待って、一斉に動くことだけはやめたい。

彼らの言葉は、表面的な言葉である。

国民の主体的な判断を求める言葉ではない。

責任を伴わない言葉といってよい。

営業自粛で潰れると考えたなら、営業を続けるほうがよい。

帰省で親に会うべきと考えたなら、それなりの準備をして会えばよい。

連休に入り一斉に動くから、密が発生する。

密が発生すれば、感染機会が増える。

それだけのことである。

発熱して、コロナの症状が出ても、検査の機会が得られないのが一番の問題である。

神奈川県の女性が保健所にPCR検査を問い合わせても検査できないといわれ、自分でネットを調べて、栃木県の医療機関PCR検査を受けることができ、陽性を確認できた。

神奈川から栃木まで交通機関で移動し、その間の感染リスクを神奈川県の保健所は考えていなかったことになる。自分がもしコロナの症状が出たとき、県税や市民税を払っている市や県がPCR検査の対応ができなかったら、悲しさとともに怒りを覚えるだろう。

何故、真っ先にやるべきことが出来ないのか? すでに医療崩壊していると誰しもが考える。今の報道は、井戸端会議的で、問題の核心をつくものがない。悲しいかな、自分のコロナ対応に任されている。恐らく、上級国民は何の苦も無く検査が受けられ、病棟を準備されるのだろう。安倍政権の経済重視政策の極みが検査機会の格差に繋がっていると思われる。

今回の言葉は、ケルト文化の渦模様についての言葉を取り上げた。

渦は英語でVORTEXという。古代人も自然界に多くの渦を眼にしてきた。

渦に巻き込まれて死にそうになったというのが身近な体験だったように思う。

したがって、渦と死は容易に結びつく。

それを母の子宮と考えたのは、どういうことなのか?

人間は必ず死ぬが、死ぬだけだといずれ人間は絶えてしまう。

生があるから、死としての死から免れる。

生のエネルギーはどこからくるのか?

渦の周りから中心に向けて水は引き込まれて行くが、水自体はなくならない。

死の向かう先はどこか? 死の先は生になる。

死者の魂は渦の中心に引き込まれて、新たな魂を生む。

新たな魂を生む場所、それが母の子宮になると古代人は考えたのだろう。

それを陰と陽の渦巻きとイメージしたのが、TAOのマークである。

河合隼雄さんの言葉は、渦の意味をもう一度味わうきつかけを与えてくれた。