TaoChat@1041編集後記

今日はいい天気である。気温も18℃で過ごしやすい一日になりそうである。

今週の出来事は、昨日米大統領候補の2回目のテレビ討論会があったのと、菅首相の著書の改訂版で前言を翻し、公文書による記録重視の箇所が削除されたニュースが話題となった。メルマガではこれを取り上げた。

近年ほど、政治家の言葉が軽くなったことも無いと思う。駆け出しは、トランプ大統領ツイッターであろう。テレビ討論会でもトランプさんは言っていたが、言葉は気分をいったものでいい加減なことを言うかもしれないから、話半分に聞いて欲しいと。

菅さんの著書もツイッターもどきで、話半分となると、国民は政治家不信に陥るのは当然である。菅首相の著書は文春新書であるが、文藝春秋社も、削除するのではなく、黒塗りするくらいの洒落が欲しかった。譲って、削除部分は袋とじにしてもらえばもっと面白かったように思える。

前安倍首相の尻拭いを全部菅さんがやってきたので、メディア管制のテクニックは菅さんはお手のもの。文春砲さえしけって不発気味。

今回の言葉は菜根譚より選んだ。

菜根譚には、中国の知恵が集約されている。今の世界の事象にあてはまる言葉がちりばめられているので、人類の知恵といっても過言ではない。

政治家に限らず、どんなに才能があっても、徳(人格)を伴わなければ、その才能は生きてこない。何故か、才能にひきつけられてひとは集まるが、徳がなければいずれひとは去って行く。大きな仕事は自分ひとりではなしえず、人格が自分と他人を結び付けてくれ、他人の協力のもとで始めて仕事は完成する。

権力者は権力こそが、自分と他人を結びつけると誤信する。徳の重要性を無視する。

言葉が勝負を決める政治家にとって、前言を翻すほど徳を失うことはなく、致命的なことはない。学術会議問題でも、推薦者リストは見た事がないといった発言を翻して、言い訳する。挙句の果て、自分が何を言ったか、記録を消し、記憶を自分で消すまでに至ると、すでに人格破綻を起こしている。

混迷する政治家に菜根譚の言葉を捧げ、言葉の重みを今一度思い起こしてほしいという願いで、今回のメルマガを配信した次第です。