9月はなぜか慌しく過ぎ去ろうとしている。
15号台風の爪あとが、千葉県の大規模停電という記憶として今も頭に残っている。
電気の来ない生活は、東北大震災で味わっている。
あのときは輪番停電という、片時の停電だった。
それが何週間も続くとなると、不便さは絶頂に達する。
政治が動かずして誰が動くのか?という思いになる。
今回の言葉は菜根譚からいただいた。
老後の疾病という、今のわが身に沁みる言葉である。
若いときは健康は当たり前で、それにまかせて、身体を酷使する。
酷使しても持つから、それに甘えて不摂生を繰り返す。
その結果が、老後の疾病となって表れる。
見ようによっては、若いときに好きなことをやってこれたのだから、幸せだったとも言える。かわいそうなのは家族で、老後も頑張ってももらいたいのに、病院通いになって家計の負担になる。
老荘の教えにもある。
勢いのある生活はいつまでも続かない。
勢いの中で衰えは始まる。
欲望の暴走に歯止めをきかせるのが、節制である。
アクセルをふかせながら、ブレーキをときどき踏むのが節制である。
アクセルをふかせ続けると、いずれ事故を起こす。
ガードレールをこするならまだいい。
激突死に至ることもある。
節制することで、衰えのときの準備をする。
身体自体の運動機能が年齢とともに衰えるのは、身体のブレーキ機能が働くと考えあっれる。
それを若いときに意識的にやるのが節制である。
若いときにはそれが難しい。
意志の力をもってやらないと出来ない。
こういうことがわかるのが、老年になってからというのがまた悲しい。