TaoChat@1037編集後記

台風が過ぎ去ったあとも、秋雨前線の影響で空はどんよりとしている。さらに肌寒く長袖シャツの上にベストまで羽織っている。

数日前まで半袖シャツに短パンだった装いとのギャップがはなはだしい。

9月も慌しく過ぎ去ろうとしている。

9月は委託業務が1件できて、自宅での仕事だが今年2月以来、久し振りに仕事をしたという達成感がある。仕事を世話してくれた会社は、4月にINDEEDを通して応募した会社だった。コロナの影響で求職活動はNG続きで半ばあきらめていたので、すぐにこの委託業務に飛びついた。今回の仕事で学んだことが多かった。

一つはTV会議の効果。これは多大で、音声と資料の画像さえあれば、要件は足りる。

もう一つは、成果報酬なので、仕事の時間は土日や平日の空き時間に進める自由度があること。一番大きかったのは、MicrosoftのONE DRIVEとGoogleのMY DRIVEを活用して、クラウド上で資料作成作業を行なえたことである。ソフトのフリーズで作った資料がおじゃんになるリスクを回避できる点は本当に助かった。

さて本題の編集後記に移ろうと思う。

今回の言葉は、ルソーの言葉を選んだ。何でルソーかというと、今佐伯啓思さんの「西欧近代を問い直す」(PHP文庫)を読んでおり、ルソーの社会契約論の話が出てきたので、彼の言葉をお届けしようと考えたからである。YOUTUBEで、ルソーのひととなりを聞くとかなりユニークな人物であることがわかった。ますますルソーのことが知りたくなった。今回の言葉は、「エミール」からで、この教育論は老子の教育論といってもよいかもしれない。こども=無の状態の人間という認識で、これにいろいろ知恵を加えていくと歪められた人間が生まれてしまう。そこで、自然が教える知恵に従っていけば、自然と共生できる人間に成長でき、自然を忘れた人間社会の弊害という毒を浴びずに行動できる。ルソーのこういう思想が、ルソーの生い立ちからどうして生まれてきたのかに興味が湧いた。ルソーの「告白」にそれが記されているようだ。