TaoChat@1080編集後記

今日は朝から暑い。ミンミンゼミの声が聞こえてくる。台風もこちらにやってくる。夏真っ盛りである。この一週間のニュースはコロナ感染者がまた増えてきて、五輪関係者の感染者もまた増えてきている。高校野球東海大付属相模もチームでクラスターが発生し、甲子園の県予選を途中棄権した。デルタ株の感染率が増加し、ワクチンでは感染を抑えられない事が明らかになってきている。そのような状況下でも、ワクチン接種率は順調に進み、五輪は安全だといまだに言い続けている政府である。最早無事を祈るほかあるまいと国民すべてが心のうちで思うばかりである。

今週読んだ本は、王敏氏の「中国人の超歴史発想」(中公文庫)であった。食・職・色を中心に5000年の歴史を語る本で、日本にその歴史のなごりは残っている。

なかでも神と人をつなぐ職として巫があり、巫が権力者の権力を正当化し、それが教育の師となり、科挙制度につながり、更に楽という芸術や科学にまで繋がっていくというドラマは非常に興味深かった。巫の漢字がすでに天と地をつなぐ人間を意味している。日本でも歴史の一時期、陰陽師が勢力を伸ばしたときもあるが、中国の巫ほど、太いパイプで繋がっていない。

今回の言葉は、ユダヤの知恵の書、タルムードからいただいた。壷の中のコインは何を物語るのかという問題である。禅問答のような言葉である。

貯金箱のお金を思い出して欲しい。コインが少ないときはからんからんと響く。コインが多くなると重くなって音も響かなくなる。経験上確かにそうといえる言葉である。

しかし、タルムードの意味するところは深い。壷は人間の器で、コインは器の中で働く知恵である。知恵が薄いものは、知恵が空回りする。そこから出てくる言葉はやかましく響くものの実体がない。「コロナに打ち勝った証し」のような言葉である。実体のない言葉を語り、ひとり満足するような器である。

知恵が器に満ちてくると、知恵は器の中でシャッフルされ、相互に関係付けられ、ひも状につながりを帯びてくる。そうすると、いくら壷を振っても音は響かなくなる。

老子の言葉で言うと、知は器の底に沈殿し、言葉となって出てくる機会は少なくなる。希言は自然なりとは、そんな様子をイメージした言葉だと思う。

このように世界各地で生まれた知の言葉は、相互に繋がっている。何故繋がるかというと、自然の中で、人間が読み取った言葉に大きな相違はないからだろう。