TaoChat@1122編集後記

雨のよく降ること。昼も夜も2日間降り続けた。西の空が晴れていて、今は雨は上がっている。二階から見る庭の木々の葉には、ダイヤモンドの粒のような水滴が付いている。自然の潤いにより心も潤う一瞬である。

この一週間の出来事は、プーチンの対独戦勝記念日パレードが5月9日にあった。うそで塗り固められた演説だった。唯一の真実は、自分の愚策によって命を落としたロシア兵のために心を痛めたことだった。ウクライナ侵攻で奪った何千というウクライナ国民の命への言及はなかった。すべては、ありもしないネオナチの制裁で許されるような口ぶりだった。防衛戦略上、ウクライナ国土が欲しいプーチンの欲望を覆い隠すには、余りにも幼稚な口実である。強いロシアを望む国民を操るにはそれで十分にしても。日本では、東京大空襲を検証した早乙女勝元氏が亡くなった。東京大空襲は1945年に米国が東京に住む多数の非戦闘員の虐殺を狙った爆撃である。東京だけで10万人が亡くなった。2つの原爆の被爆が人類の悲劇として世界中に知られるが、東京における大量虐殺はあまり知られていない。本当なら東京大空襲の日を制定してもよいくらいである。プーチンからすれば、あんな大虐殺を米国から受けているのによく黙っていられると考えるのは当然である。チェ・ゲバラが広島原爆記念館を訪れたとき、こんな大量虐殺を受けて、何故日本人は怒らないのか?と語ったのは有名である。クリスチャンでもないのに日本人は敵の罪を許すというのは不思議な現象である。そのゲバラも米国CIAの手引きで暗殺された。日本のメディアは米国の眼の色をうかがって報道している。

もう一つの衝撃は、ダチョウ倶楽部上島竜兵氏の死である。お笑いで心に潤いを与えていたひとが、自死したという現実はあまりにも悲しい。まさしく、「聞いてないよぅ」である。手ぬぐいでほっかぶりして、熱湯に入るシーンは笑いながらも大丈夫かと思ったほどである。体をはった芸の数々を披露していただいた。芸に悩むことで死を選んだ事がつらい。開き直って、笑い飛ばして欲しかった。

今回の言葉は、「正法眼蔵随聞記」から選んだ。悟りは志さえあれば、得られるというもの。人間の知恵は、普段は役に立たない。その人が限界状況に陥ったときに、あれこれ思いを巡らし、知恵が湧いてくる。何のために生きてきたのか、そして生きているのか、を自問するのが限界状況に陥ったときである。馬から落ちて地面に到達するまでの時間、その一瞬に知恵は湧いてくる。その知恵が、もっと早く地面に到達したいのでは余りにも悲しい。タケシさんが笑って死ぬのが芸人の本望と追悼の言葉を贈った。笑いのための人生なら、笑いで終えるのが最高の人生だが、それができなかったのもなんだか心やさしい竜兵さんらしいような気もする。