先週木曜に、定年後から8年勤めあげた職場を離れる日を迎えた。茅ケ崎から木場まで往復4時間弱の通勤をよくも8年続けられた、我ながら辛抱強さに感動する。
アインシュタインの言葉によれば、疑問を感じながら答えを探し出せない日々を送っていたのかもしれない。
疑問は、このような単調な日々を送ってよいのかという疑問。
単調な日々の繰り返しの中で、確かに身についた職能もある。
この職能を元手に次の仕事を探している現実もある。
しかし、上記の疑問のレベルでは、課題設定には至っていない。
課題と言うには、自分を変えていくための課題であるべきだと思う。
求職の過程で、英語力をTOEICで測られることに気づいた。
英語の読み書きはできるが、聞き取りの力が弱いことに気づいた。
そして、聞き取りが弱いことは、スピーキングが滑らかでないことによることに気がついた。ニック式英会話の動画を見ていると、確かにネイティブは書き言葉どおりに発音していない。省略して滑らかに話している。
ということで、近近の課題は、英語のヒアリング力を高め、求職のコア力を高めることに落ち着いた。
今回の言葉は、アインシュタインを取り上げた。
アインシュタインのノーベル賞受賞理由は、特殊相対性理論ではなく、光電効果だったことをまず訂正しておきたい。
アインシュタインの名言は、ずばり的を得ている。
人類がいい加減に済ませてきたところに疑問を持ち、次々に新しい理論を打ち立てたところが、アインシュタインの素晴らしさだと思う。
今回の言葉は、わかったふりをするなという一語に尽きる。
ソクラテスに言わせれば、わからないところはどこか知る事が、知の始めということ。
わからないところを知る事が、アインシュタインの疑問ということで、既存の知識で立ち行かないところを明確にすることになる。
6歳のこどもは、既存知識は殆どないから、既存知識を知らなくても、理解できるように説明できれば、説明する人は、そのことを一番理解していることになる。
アインシュタインが、わからないところから出発する人の言葉は耳を傾ける価値があるといったのは、その人がわからないところはどこか確実に知っていることの裏返しである。テレビのインタビューで、インタビューしている人がわかったようなふりをしていることがよくある。それを聞いていて、わかったように思うのはもっと悪い。
わからないことはどこなのか、毎回明らかにして勉強するのが、英語のヒアリング力を高めるための近道になるのかもしれない。