今日は雪予報が出ていたが、雨模様である。
しかし、非常に寒い。
センター試験を受験されている方には、雨や雪の寒さに負けずに頑張ってもらいたい。
YouTubeでStacy KentとMarcos ValleのAmando Demaisを聞きながら編集後記を書いている。
TaoChatは1000号を超え、気分一新し、出発点に戻った感じだ。
あと何号出せるかわからないが、意欲とからだが続く限り、出したいと思う。
今回はキリストの言葉だが、木場の紀伊国屋書店で、講談社文庫の「人生の役に立つ聖書の名言」を買い求め、その始めの言葉をお届けした。
題名はちょっとダサいが、立ち読みした範囲では読み続けられそうだった。
聖書の言葉は、基本、神様の言葉を書きとめたものである。
老荘と何の関係があるの?と思われるかもしれないが、老荘も聖書も2000年以上経った今でも、人々の心を打つ書なので、どちらも生きる上での名言である。
人生をどのように考えると生きやすくなるかを説いた言葉がちりばめられている。
老荘の道は、エネルギーの流れの原理のようなものである。
そこには考えをもって動く主体はいない。
一方、キリスト教の神はある考えをもっており、その考えをもって動く。
天地創造で万物をつくり、最後の審判で人間の行いを裁く、きわめて人間的な神である。
まあどちらが真実に近いかは置いておくことにして、我々は自分の意志が生まれる前にこの世に命とからだを持って生まれてきた。
直接この恩恵を授けたのは、親である。
親には親がいるわけで、ずっとさかのぼっていくと、道や神に行き着く。
すなわち、道や神から命とからだを与えられて、われわれの生が始まった。
いき続けて生長する間に、ひとはこの恩恵を忘れてしまう。
何を食べようか、何を着ようかと悩み、誰が好きか誰がにくいかと心を奪われる。
しかし、これらの悩みや心の移ろいは、無駄な時間を費やしていく。
与えられた命とからだを元手に、人間にはもっとやるべき事がある。
その理由は、生きている時間は有限だから。
Give and Takeの思想が原点にある。
老荘からすれば、万物の生を支える食物連鎖がこの思想に基づく。
自分の生は他者の死に支えられている。
ドナー提供は、自分のからだが自分の死と引き換えに、他者に引き継がれていく。
与えられた命とからだを元手にやるべき事は何か、聖書の言葉は問いかける。