TaoChat@1162編集後記

今回も編集後記は二日遅れになってしまった。この一月腰痛が気になり始め、この一週間は寝床から起きるときも痛みを覚えるようになった。そこで整形外科に行き、診てもらった。X線をとって脊椎の様子を調べたが特に異常はなく、加齢によるものと診断され、湿布をもらって帰ってきた。歳をとると体のあちこちが悲鳴をあげるようである。

この一週間はプライベートでは腰痛の記憶しかない。公では、次期日銀総裁候補が決まり、異次元の金融緩和の総括が、BSの経済番組で行なわれている。話を聞いていると、アベノミクスは当初のデフレ脱却の目的は達成できなかったというのが結論らしい。その原因は、日本人のマインドが壊れているためということだ。マインドが壊れているという極めて抽象的な言葉でごまかされているようにも見える。誰のどのようなマインドが壊れているのかあいまいで、経済学者を含め、経済評論家はよくこれで飯が食えているのか不思議である。低賃金で働いている消費者は、消費税を上げられ、物価高に苦しむ中で、将来の不安のために生活を切り詰めるので必死である。金銭以外のところで、楽しみを見出す工夫を常時おこなっている。

今回の言葉は、宇宙に関わる名言を、ホーキング博士からいただいた。宇宙の大原則は不完全性という、勇気付けられる言葉である。自分の体を見ていても、不完全の塊である。不完全のなかで、どうにかやりくりしてかろうじて生きているという実感である。

大昔から、人間は宇宙に完全性を求めてきた。完全なる神がつくった創造物に不完全なものはない。これが一神教の神である。ところが日本の神話に出てくる神は、不完全の塊である。人間に幸いをもたらすこともあれば、災いをもたらすこともある。ホーキング博士のように、宇宙はそもそも不完全なものと認めれば、今まで苦しかった世界が何と生きやすい世界に変わる。不完全なのが当たり前で、完全な秩序などありはしない。

ウクライナ侵攻をするロシアも、ミサイル乱射する北朝鮮も、国際社会のブラックホールと考えると、あらゆる正のエネルギーを吸い取る、不完全性のシンボルとしてみることもできそうである。

TaoChat@1161編集後記

昨日はとにかく暖かだった。それなのにタイツをはいていたせいか、体調がおかしくなった。夕食の鶏鍋の材料を買いに行き、帰宅して仕込みをはじめ、鍋を作り終わった直後から、食欲がなくなった。眠くなりそのまま寝てしまった。理由はわからないが、とにかく食べる気がしなくなり、眠たくなっただけである。10時間以上寝て起きた今朝は、体調はよくなった。一瞬コロナかと思ったが、そんな症状は聞いた事が無い。慢性的な睡眠不足なのか? 睡眠時間は5時間から6時間なのでそれほど多くないが、かといって少なすぎるわけでもない。食欲ももどり、朝食にご飯抜きで鶏鍋を食べた。というわけで、編集後記のほうは今日になった次第である。

この一週間のできごとは、とにかく重大なのは、トルコ・シリア大地震である。死者は2万人超と東日本大震災を超えている。東日本大震災津波による死者が多かったが、トルコ・シリア大地震は陸地で大被害を出している。とにかくトルコは地震国で昔から地震が多発している。それに対し、建造物の改良がされていないので、毎回大被害を出しているように見える。トルコは石の家なので、壊れると下敷きになって死ぬ場合が多いと思われる。壊れて下敷きなっても、圧死することのない軽量材料で家を作れば、被害は少ないと予想されるが、文化的歴史的な背景があるので、そう簡単なことではないかもしれない。

今回の言葉は、陶淵明の詩からいただいた。陶淵明といえば、「桃花源の詩」が有名で、高校の漢文の授業で始めてであった。桃花源はいわゆるユートピアで、老子小国寡民の世界に似ているので、陶淵明にも親近感をもって接した。幸い、書棚に岩波書店から出ていた陶淵明詩集があったので、そこに「飲酒」を見つけた。陶淵明は一生貧乏につきまとわれており、飲酒は農耕のあとのささやかな憩いとしてたしなんでいた。李白のように大酒飲みではなく、貧しさゆえの苦労を忘れるための飲酒だった。130首あまりのうち、半分には酒が出てくるので、酒は生活と切り離せないものになっていたのは確かである。とりあげた其十七の前半に、前庭に咲いている蘭の花が、清風に誘われて突如存在感を示すという前置きがある。これは何をいっているのかという疑問がわきました。陶淵明詩集の解説には、「帰去来の辞」の序にあるように、役人生活の間、抱いた出世の夢を蘭に置き換えているとある。夢を実現する途はない。蘭の花が突如垣間見えるときもあったという回想なのか? この疑問を解くために、詩集の他の詩をヒントに、陶淵明の頭の中に入り込む必要があるようだ。

TaoChat@1160編集後記

昨日今日といい天気である。風もそう寒くなく、散歩に出かけたくなる天気といえよう。メルマガ配信が昼近くなり、昼飯を食べたあと、録画したドラマを見た。そのあと、買い物に出かけ、編集後記が遅れてしまった。週末に見るのは、BSのマードックとルイス警部のシリーズものだったが、録画予約していたのにとれていないので、どうも終わったらしい。今は、ホワイト・ドラゴンを見ている。この一週間は、反省の日々だった。先週の日曜に元会社のOB会に参加し、酒を呑み過ぎた。どう家に帰ったかもわからず、翌朝家内に面識のない親切な方が家まで送ってくれたといわれ、驚いている次第である。全くその記憶がなく、送ってくれた方にお礼をいいたいのだが、顔を覚えておらず、なんとも致し方ない。その方を神が差し向けた天使と思い、年甲斐もなく酒を呑み過ぎるなというメッセージをくれたものと思うことにした。そういうわけで今も反省の意味を込めて断酒している。

世の中ではこの一週間、宮台氏を襲撃した容疑者が自殺した話とフィリピンにいる「ルフィ」の送還の話、そして、中国の偵察気球の撃墜の話が印象的だった。岸田内閣周辺の政治家の不祥事はいまなお続いており、岸田首相の長男が公用車で観光旅行するという、「罠の戦争」で見られるかもしれない、お粗末なニュースまで飛び交った。宮台氏襲撃の容疑者については、動機がまったく解明されず、しっくりこない。計画的な犯行だったという証拠は明らかにされているものの、SNSに動機につながるメッセージを出しているわけでもなく、予兆をつかめないのでこわい事件である。

ルフィなる容疑者が指図した事件の中核は、強盗先の家の状況をなぜ事前につかんでいたかである。どこを襲撃すれば安全に金品を強奪できるか事前に察知しているほうがよっぽど注目すべきである。これは強盗のリモートワークといえる。自分は事件の中枢にいながら、失敗しても実行グループがつかまるだけ。きわめて安全に大金を獲得できる手法である。日本は安全な国というが、これは泥棒にとっても安全な国といえそうである。中国の気球の事件は、なぜすぐ打ち落とさなかった疑問が残る。映像を見て、太平洋戦争中に日本が試みた風船爆弾を思い出した。風船に爆弾を積んで、ジェット気流にのせて、アメリカ西海岸を攻撃する作戦である。数個の風船が実際にアメリカまで届き、爆発したそうである。一応国民に被害が及ばないように、海上に移動するまで静観したと言い訳していた。もし小型核爆弾を積んでいたら、今回のような措置では大変なことになる。テロリストが、核爆弾つきの風船を東京上空に飛ばして、日本政府を脅迫したら、日本政府はどのような措置をとるのだろうか? この状況は、いずれサスペンス小説家により取り上げられるかもしれません。

今回の言葉は、ユクスキュル氏の「生物から見た世界」からいただきました。というよりか、國分功一郎氏の「暇と退屈の倫理学」からの孫引きといったほうがよいでしょう。「暇と退屈の倫理学」は、論理展開を懇切丁寧に書いており、非常にわかりやすい、人間の生き方を考えさせる本でした。暇と退屈は本性で、それは高い環世界間移動能力を備えた人間に環世界間移動のきっかけを与えるもののようです。その際用いる環世界という言葉をユクスキュル氏は唱えました。生物は、それぞれ固有の別個の環世界をもっている、と主張した。彼は、自分がそれぞれの生物になって世界を見てきたように語るので、この言葉は説得力を持つ。荘子も、人間の見ている世界は人間の環世界にとどまるという。大鵬の見る世界は、地球の端から端まで毎年移動する生活から見る世界である。上空高くから見る地表の空は青く見える。移動する時間も人間が想像することはできない。従って大鵬の環世界では、時間も空間も人間のそれとは全く異なる。同様に地面をはう虫は、微小な時間も空間で構成される環世界を見ている。お互いに異なる世界を見つつも、生きつ生かされているという点ではどの生物も同じと荘子は考える。荘子の世界観を、近代科学がデータに基づいて少しずつ、絵解きしているような感覚に陥ります。

TaoChat@1159編集後記

湘南地方は雪に降られることなく、晴天が続いている。中国地方、北陸地方など日本海側では、大雪に見舞われている。水道管が凍結して断水のところもある。被害に会われている方々にお見舞い申し上げます。一日遅れの編集後記です。この一週間の出来事は、ドイツ・アメリカなどのNATO諸国がウクライナに戦車を提供することになり、ロシアの侵攻を止める力になることが期待されている。しかし、その数は数十両のレベルで、しかもこれから訓練を始めるというのろさで、ロシアにとっては当面の脅威にもならないと思われる。ウクライナにとっては、ロシアの戦力と均衡を保ちながら、ゆっくりと領土奪還する作戦がベターなようだ。ロシアは超音速ミサイルでキーウ攻撃の行ない、性懲りもなく非戦闘員の虐殺を行なっている。非道一本道のならずもの国家ロシアの攻撃を弱めるには、自然の怒りによりモスクワに隕石が落ちるかして、戦争などしている場合でない状況が発生するしかない。人類の愚かな行為をやめさせるには、自然の力により、愚かさに気づかせてもらうより方策はないのか、とつい思ってしまいます。

今回の言葉は、「列子」よりいただいた。帰人と行人の対は、死生観そのものが現われていて、最近読んでいる本、「死の講義」の内容にもつながるかなと思い選びました。死んだ人を帰人と呼ぶのは老荘的です。自然のなかのものごとは必ず原点に戻るというのが老子の考えです。春夏秋冬のように春から始まって春にもどるように。生きている人は旅を進む人、つまり行人と呼べるわけです。ひとつの個体としての個人は、誕生という原点から出発して、死という原点にもどる円運動を遂げる。種として人類は、原点において個体は他の個体に生をバトンタッチして、円運動を繰り返す。仏教の輪廻は、同じ個体が円運動を繰り返し、一段ずつ高位の覚りに近づいていく。老荘には輪廻という考えはないので、現世における一回限りの生を充実しようとする。列子のことばをきっかけにして、生死のさまざまなイメージに思いをはせました。

TaoChat@1158編集後記

日は照っているが空気は冷たい。そんな天気が数日続いている。昨日も今日もそんな天気だ。南向きの部屋は日照で次第にぽかぽかしてくるが、PCを置いている北向きの部屋は冷凍庫のようである。従って、ヒーターで足元を暖めながら、書き始めている。

昨年末から関東各地で、強盗窃盗事件が相次ぎ、19日には狛江で強盗殺人事件が発生した。手口はハンマーや刃物で家主を脅し、金品を強奪するものである。狛江の事件は逮捕した容疑者のスマホに、狛江の家に押し入るメッセージが残されており、それを頼りに警察が家を訪れたが一歩遅く、住民は殺されていた。怖いのは、強盗が襲う家をあらかじめ選定していることである。日中は目撃者が少なく監視カメラもなく、住人は高齢者で襲っても無抵抗ということも考慮して、選定している。その襲撃箇所データを集める人間と、強奪・殺人を実行する人間は異なっているように見える。データを集めた人間が実行犯にデータを売っていることもありえる。横の連携がしっかりしているので、効率よく犯行に及ぶ。おまけにストリートビューのデータに基づき、付近の環境も現場に行かずに把握できる。ここでも、便利さとセキュリティは裏腹の関係にある。犯行グループが早く捕まることを願う。海外では、お隣中国が、ゼロコロナ政策が解除され、春節の大移動が始まった。海外渡航が解禁されたので、渡航先にとっては経済回復も期待される。人気渡航先上位は、オーストアリア、タイ、日本となり、日本経済へのチャンスも生まれるのだろう。台湾有事が議論されるが、基本的には、中国、日本が東アジアの平和を牽引する使命を追っているのは明らかである。そのためには、日本の政治的中立性を高める努力が必要になると思われる。

今回の言葉は、マーフィの法則よりいただいた。自分の立ち位置にこだわらなければ、道に迷うことは無い。なかなか味のある言葉である。悪く言えば、日和見主義といわれかねない。でもよく言うと柔軟性のある選択といえる。老子の思想に原点回帰がある。老子の原点は、自然の道に随うことである。なぜなら人間は自然より生まれ、自然に還って行くから。人間は裸で生まれ、裸で死んでいく。社会の中で生きていくために、裸の外側にいろんな衣を付けていく。そのうちの衣のほうが重要になっていく。衣にこだわるのが自分の立場にこだわることである。衣よりも裸、つまり自分の原点にもどれば、道を実践することになり、道の選択に迷うこと無い。日本の政治的中立性も、アメリカのパワーと中国のパワーの狭間に立ちながら、そのどちらにもくみすることなく、世界の平和を実践することで達成できると信じる。覇権主義を否定することは、中立性を保つことである。今のインドがその役割を果たしていると思われる。その役割は、今後ますます重要になる。覇権国家が牛耳る国際連合に代わる新しい世界連合を生むのもインドの役割かもしれない。

TaoChat@1157編集後記

昨日は暖かだったが、今日は寒い。どんより曇って雨が降りそうな空模様である。イングランドの天気のようだ。といっても、シャーロックホームズのTVドラマで見たような空という意味で、実際に出会ったことはない。メルマガを配信した昨日はなぜか編集後記を書く時間がなかった。一週間の出来事は、全国でのコロナ感染の1日の死者が過去最高を記録しているのが目立っている。年齢的には70歳以上の死者が圧倒的に多いようである。自分はまだ感染した経験はないが、所帯をもっている息子家族は全員感染している。中国でも8割以上は感染しているということなので、状況は日本も変わらないように見える。プライベートではこの一週間は代わり映えのしない毎日を送っている。最近読んでいる面白い本は、国分功一郎著の「暇と退屈の倫理学」で新潮文庫版を年末書店で見つけ買い求めた。丁度茅ケ崎市の電子決済キャンペーンでペイペイで買えば、30%のポイントが還ってくる仕組みで、実際には30%引きで本が買えるチャンスを利用しました。店屋で見ていると、高齢者はあいかわらず財布から現金を出して買うのが殆どで、スマホを使ってこのようなキャンペーンに気づいていないのが非常に残念である。「暇と退屈の倫理学」のほうは、タイトルどおり、暇と退屈をこれまでの哲学者がどう考えたかがわかる、面白い本である。現在は疎外論のところまで進んだ。マルクス疎外論をわかりやすく説明しているのがありがたかった。

今回の言葉は、西郷隆盛の遺訓よりいただいた。論語にも似たような言葉があると記憶している。西郷さんの面白いところは、割れた茶碗の破片をいくら貼り合わせてももとに戻らないことにたとえて、過ちにこだわって、それを取り繕って、無かったことにしようとする対応が見苦しいといったところである。これと同じ事が歴史上あちらこちらに見受けられる。過ちは過ちとして認め、それによって失った信頼をどう取り戻すのかを速やかに見える形で実行することが、リーダーには求められると西郷さんはいう。2023年に突入してまだ間もないが、ウクライナ侵攻の過ちに気づき始めたプーチンがどう汚名挽回するのかが見ものである。

TaoChat@1156編集後記

明けましておめでとうございます。

今日もいい天気である。元旦から天気が続いている。そんなに寒くも無く、これでいいのかという気さえ起こってくる。昨日は午前中は人間ドックに行き、午後は出社し、仕事のならし運転をした。人間ドックでは、外国の看護師の方とお話した。話題は白内障で、彼女も白内障らしく手術をしたほうがいいか迷っているとのことだった。日本語はぺらぺらだったので特に違和感は感じなかったが、医療現場も人手不足ということを実感した。コンビニや宿泊施設では日本語のおかしい従業員を見かけることは多いが、医療現場では始めてであった。この一週間は何事もなく済んだ。下の息子の家族が訪れ、新年を祝った。近くの神社に初詣に行った。図書館で山本七平の本を4冊も借りてきた。返却期限までに全部読めるか怪しいが、2冊読めれば御の字と考えたい。

今回の言葉は蕪村よりいただいた。なかなか素敵な句である。心の底からじわっとくる句である。うづみ火(埋火)というのがまた味わいがある。めらめら燃える炎ではなく、灰の下に埋もれている火である。そんな火でも長い間にちゃんと仕事をしてくれる。それを見届ける人間の心のゆとりと、その火を絶やさない心配りが句に込められている。正月初めの句にふさわしいのではと思い、選択した。最近の世の中はどこもかしこも、早く結果を見ようと心を急いた選択が多い。東京都の少子化対策で、所得制限なしの月5000円給付を行なうと小池知事は述べた。お金のばらまきは本当の少子化対策になるのか、もうすこし真剣に考えて欲しい。教育費の無償化までやらないと根本的な対策にはならない。蕪村の句では、見えない所への配慮が持続的に続いて始めて、狙った結果が現われると語りかけているように思える。「鍋の物が煮える」とは、早く結果を得ようと強火で煮るのとはちがい、弱火でことこと煮ることで素材のおいしさをかもし出すことを意味する。本当に子供を産みたい社会とは何なのか?を政治家は真剣に考えていない。