TaoChat@1160編集後記

昨日今日といい天気である。風もそう寒くなく、散歩に出かけたくなる天気といえよう。メルマガ配信が昼近くなり、昼飯を食べたあと、録画したドラマを見た。そのあと、買い物に出かけ、編集後記が遅れてしまった。週末に見るのは、BSのマードックとルイス警部のシリーズものだったが、録画予約していたのにとれていないので、どうも終わったらしい。今は、ホワイト・ドラゴンを見ている。この一週間は、反省の日々だった。先週の日曜に元会社のOB会に参加し、酒を呑み過ぎた。どう家に帰ったかもわからず、翌朝家内に面識のない親切な方が家まで送ってくれたといわれ、驚いている次第である。全くその記憶がなく、送ってくれた方にお礼をいいたいのだが、顔を覚えておらず、なんとも致し方ない。その方を神が差し向けた天使と思い、年甲斐もなく酒を呑み過ぎるなというメッセージをくれたものと思うことにした。そういうわけで今も反省の意味を込めて断酒している。

世の中ではこの一週間、宮台氏を襲撃した容疑者が自殺した話とフィリピンにいる「ルフィ」の送還の話、そして、中国の偵察気球の撃墜の話が印象的だった。岸田内閣周辺の政治家の不祥事はいまなお続いており、岸田首相の長男が公用車で観光旅行するという、「罠の戦争」で見られるかもしれない、お粗末なニュースまで飛び交った。宮台氏襲撃の容疑者については、動機がまったく解明されず、しっくりこない。計画的な犯行だったという証拠は明らかにされているものの、SNSに動機につながるメッセージを出しているわけでもなく、予兆をつかめないのでこわい事件である。

ルフィなる容疑者が指図した事件の中核は、強盗先の家の状況をなぜ事前につかんでいたかである。どこを襲撃すれば安全に金品を強奪できるか事前に察知しているほうがよっぽど注目すべきである。これは強盗のリモートワークといえる。自分は事件の中枢にいながら、失敗しても実行グループがつかまるだけ。きわめて安全に大金を獲得できる手法である。日本は安全な国というが、これは泥棒にとっても安全な国といえそうである。中国の気球の事件は、なぜすぐ打ち落とさなかった疑問が残る。映像を見て、太平洋戦争中に日本が試みた風船爆弾を思い出した。風船に爆弾を積んで、ジェット気流にのせて、アメリカ西海岸を攻撃する作戦である。数個の風船が実際にアメリカまで届き、爆発したそうである。一応国民に被害が及ばないように、海上に移動するまで静観したと言い訳していた。もし小型核爆弾を積んでいたら、今回のような措置では大変なことになる。テロリストが、核爆弾つきの風船を東京上空に飛ばして、日本政府を脅迫したら、日本政府はどのような措置をとるのだろうか? この状況は、いずれサスペンス小説家により取り上げられるかもしれません。

今回の言葉は、ユクスキュル氏の「生物から見た世界」からいただきました。というよりか、國分功一郎氏の「暇と退屈の倫理学」からの孫引きといったほうがよいでしょう。「暇と退屈の倫理学」は、論理展開を懇切丁寧に書いており、非常にわかりやすい、人間の生き方を考えさせる本でした。暇と退屈は本性で、それは高い環世界間移動能力を備えた人間に環世界間移動のきっかけを与えるもののようです。その際用いる環世界という言葉をユクスキュル氏は唱えました。生物は、それぞれ固有の別個の環世界をもっている、と主張した。彼は、自分がそれぞれの生物になって世界を見てきたように語るので、この言葉は説得力を持つ。荘子も、人間の見ている世界は人間の環世界にとどまるという。大鵬の見る世界は、地球の端から端まで毎年移動する生活から見る世界である。上空高くから見る地表の空は青く見える。移動する時間も人間が想像することはできない。従って大鵬の環世界では、時間も空間も人間のそれとは全く異なる。同様に地面をはう虫は、微小な時間も空間で構成される環世界を見ている。お互いに異なる世界を見つつも、生きつ生かされているという点ではどの生物も同じと荘子は考える。荘子の世界観を、近代科学がデータに基づいて少しずつ、絵解きしているような感覚に陥ります。