TaoChat@1156編集後記

明けましておめでとうございます。

今日もいい天気である。元旦から天気が続いている。そんなに寒くも無く、これでいいのかという気さえ起こってくる。昨日は午前中は人間ドックに行き、午後は出社し、仕事のならし運転をした。人間ドックでは、外国の看護師の方とお話した。話題は白内障で、彼女も白内障らしく手術をしたほうがいいか迷っているとのことだった。日本語はぺらぺらだったので特に違和感は感じなかったが、医療現場も人手不足ということを実感した。コンビニや宿泊施設では日本語のおかしい従業員を見かけることは多いが、医療現場では始めてであった。この一週間は何事もなく済んだ。下の息子の家族が訪れ、新年を祝った。近くの神社に初詣に行った。図書館で山本七平の本を4冊も借りてきた。返却期限までに全部読めるか怪しいが、2冊読めれば御の字と考えたい。

今回の言葉は蕪村よりいただいた。なかなか素敵な句である。心の底からじわっとくる句である。うづみ火(埋火)というのがまた味わいがある。めらめら燃える炎ではなく、灰の下に埋もれている火である。そんな火でも長い間にちゃんと仕事をしてくれる。それを見届ける人間の心のゆとりと、その火を絶やさない心配りが句に込められている。正月初めの句にふさわしいのではと思い、選択した。最近の世の中はどこもかしこも、早く結果を見ようと心を急いた選択が多い。東京都の少子化対策で、所得制限なしの月5000円給付を行なうと小池知事は述べた。お金のばらまきは本当の少子化対策になるのか、もうすこし真剣に考えて欲しい。教育費の無償化までやらないと根本的な対策にはならない。蕪村の句では、見えない所への配慮が持続的に続いて始めて、狙った結果が現われると語りかけているように思える。「鍋の物が煮える」とは、早く結果を得ようと強火で煮るのとはちがい、弱火でことこと煮ることで素材のおいしさをかもし出すことを意味する。本当に子供を産みたい社会とは何なのか?を政治家は真剣に考えていない。