TaoChat@1116編集後記

4月に入り、桜も満開となった。今日もいい天気で花見日和である。こんな平和な世界がある一方、今戦場になっている国もあることがつらい現実である。この平和は島国であることによると毎度感じている。台湾も海により本土と離隔しているので、中国も香港のように本土化できていない。日本が中国と地続きだったなら、とっくに中国の州になっていたと思われる。

この一週間の出来事は、ウクライナとロシアの停戦交渉が少しずつ前進していることと、映画「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞したことがニュースだった。ロシアが東部戦線に部隊を移動したことは、停戦交渉を有利に進めるためであろうが、それよりも、ロシア経済の逼迫を憂慮したほうが先決事項のように思える。プーチンとしては、5月9日の対ナチス戦勝記念日までに、ロシアの勝利を国民にイメージ付けたい思いが強いので、それまでにクリミアとドンバス地域をつなぐ一帯をロシア領土(ロシア連邦の一部)にしようとしているのはみえみえである。

ウクライナには、何としても停戦交渉に第三国を巻き込んで、ミンスク合意の段階まで話を戻せるように頑張ってほしい。

今回の言葉は、ニーチェの「人間的な、あまりに人間的な」より選んだ。信念の怖さを指摘した言葉である。プーチンの「ルースキー・ミール」の信念を見たときに思い浮かぶ言葉である。この信念でみられたウクライナは、拒絶反応を抱かざるを得ない。勝手な思いで自分を見て欲しくないと思うのは当然の反応である。プーチンの野望は、「ルースキー・ミール」の信念を表面的に掲げて、ロシア連邦の領土を拡大し、経済的かつ軍事的な安定を得るところにある。「ルースキー・ミール」は、ナチス・ドイツヒトラーアーリア人卓越主義と同じく、国民の圧倒的な民族主義高揚をあおる道具と見る事ができる。この信念を真理の敵としたのは、国民を盛り上げる道具に自分自身も酔って、真理が見えなくなる危険をニーチェは指摘している。大事なのは領土拡大ではなく、開かれたロシアを実現し、専制的中央集権的な政治ではなく、アメリカ合衆国のようにロシアの各州が独自の自治を行ない、そこの経済的発展がロシア連邦を支える姿といえる。ロシアには民主主義は根づかなかったと言われるが、各州の自治を尊重すれば、民主主義は自ずと根付くように思われる。ウクライナの姿から将来のロシアの姿を予見できるとさえいえる。ウクライナ国民投票で、ドンバスやクリミアの自治を認めれば、ロシアと協力するか否かは、自治州の判断に委ねられる。別に武力を使わなくても、自ずとロシアに近寄ってくる。反対に、ドンバスやクリミアの自治州がEU加盟を望めば、それを拒む権限はロシアにはない。

TaoChat@1115編集後記

今日はうす曇だが、穏やかな日和である。この一週間で、庭に咲いていた木蓮の白い花がほとんど散ってしまった。桜の開花はぼちぼちと言ったところだ。連休明けに2日ほど休みをもらって、箱根にいって温泉を楽しんだ。単純硫黄泉で露天風呂というのが目玉である。今回は雪も積もっていたので、最高の温泉となった。頭に手ぬぐいをかぶり、雪に降られながらの露天風呂で、身体がほてったら雪にあたり、寒くなったら湯につかることを繰り返した。雪の箱根も初体験である。山々が雪化粧をして、非常に美しかった。宿の屋根から下がるつららも珍しかった。大昔、スキー場の宿で見た巨大つららを思い出した。温泉から帰った夜、ゼレンスキー大統領での国会演説を見た。今朝寝床で聞いたYOUTUBEチャネルの一月万冊では、演説後のスタンディングオベーションはやらせだったようだ。式次第が議員に配られていて、その通りにやったという学校の卒業式並みで、議員のレベルの低さを物語っている。どうもそれっぽいと感じていました。演説の内容は、ちょっとおとなしかったようにも見えたが、アジアで真っ先にロシア制裁を行なった国の印象を語ってくれたので、一体感は感じてもらえたのだろう。戦後復興における日本の役割は大きいと思う。ウクライナ姉妹都市を結んでいる日本の都市は文化を通じて心のサポートを行なっていただけたらよいと思う。

今回の言葉は、蕪村の句を選びました。平和な光景を花を中心にうたっているのが微笑ましい。荘子胡蝶の夢に重なるところもありました。ウクライナにもはるかな穀倉地帯と、映画にもなったひまわり畑もある。どちらも、飢餓と戦争のイメージが残る光景ですが、日本では桜の木陰でのいねむりという平和そのものです。今ウクライナでのロシア兵は、凍傷にかかりながら極寒の塹壕のなかで仮眠をとっている。ウクライナ国民は一ヶ月も地下シェルターで空腹と緊張と病に苦しんでいる。彼らの状況に比べれば、蕪村の句は天国のさまを描いている。しかし、日本の平和も国を守るという思いに支えられたと感じた次第である。鎖国により侵略の危機を防いだということもあるかもしれない。核持ちこみが平和には必要だという議論が浮上しているが、核を使ったらどういう制裁を受けるのか議論をまずしておかねばならないと考える。実際アメリカは2回非戦闘員に使ったが、制裁は受けていない。

TaoChat@1114編集後記

朝からどんよりとした空でウクライナの戦況のような天気である。からっと晴れて停戦のきざしが見えるようになるといいのだが。ポーランドに避難した子供たちの映像がTVで流れたが、避難所の床を自動車に乗ってはしゃぐ姿は緊張する気持ちに少しの安らぎを与えた。ロシアはこの子達にどのような故郷の荒廃を見せるだろうか。プーチンは世界に今世紀最悪の戦争犯罪人のイメージを植え付けた。自国では英雄かもしれないが、世界では通用しない。ウクライナ危機を目の当たりにすると、お笑いの番組を見る気がしなくなる。彼方の国で、非道な扱いを受けて苦しんでいる民がいるのに、笑ってていいのかという思いになる。プーチンを倒すには、世界には味方はひとりもいないことを示すしかない。中国は姑息にも味方であることを約束している。ロシアの軍事的脅威を支持し、兵器まで供与しようとしている。何のためか? 台湾侵攻を見据えた、対米戦略の一環であると思われる。台湾侵攻の際は、ウクライナ侵攻の際の恩を返してもらおうとするだろう。

今回の言葉はトルストイからいただいた。トルストイの言葉はロシアでは死語になっているのだろう。大国の愛国心はねじまげられ悲劇を招く。プーチン愛国心も悪魔の呪いに変っている。核の脅しをかけている分、愛国心は狂気に変っている。悪魔から、お前が倒れるか、ウクライナを倒すか、どちらかを選択せよと挑まれているようだ。

「他人の犯した罪は目の前にあるが、自分の犯した罪は背後にあるのである。」も、トルストイの名言である。戦争を始めるときは、他人の罪を前面に掲げ、それを是正するため正義の軍を派遣するという形をとる。自分の犯した罪、ウクライナ侵略でいえば、民間人の虐殺や原発攻撃は背後に隠す。しかも他人の罪はフェイクで開戦の言い訳にし、自分の罪は知らないふりをする。ロシアの文豪はロシアの罪を見抜いている。チェチェンでは思い通りになったことがウクライナではまだうまく行かない。その焦りが生物化学兵器核兵器に手をかけようとさせる。まさに人類の平和に対する挑戦をプーチン・ロシアは行なおうとしている。この大罪の代償は大きい。

TaoChat@1113編集後記

今日は暖かく4月の天気である。車のガソリンを入れて、料金の高さを実感しました。3000円使っても、17リットルしか入りませんでした。最早、車は買い物に使うしか動かさないようにします。ウクライナ情勢で原油の輸入価格が高騰すれば、輸送コストは増し、物価も高くなるので、生活を切り詰める対策を講じ始めています。

この一週間の出来事は、コロナは収束の様相で経済活動が活発なると思いきや、ウクライナ情勢で輸送ルートが閉ざされ、値上げラッシュを覚悟しなければいけない状況になっています。経済的にはロシアでけでなく、日本も戦争状態になっているようです。昨日のBSプライムでも経済評論家がそんなことをいっていました。

今朝の日経朝刊でも米スタンフォード大の歴史学の教授が、プーチンは狂気でなく冷静だが、邪悪で現実逃避だと分析していました。邪悪というのは、すべての人間を不幸にしてまで、自分の思いを遂げたいと望むこと。現実逃避というのは、権力が彼を腐敗させ、YESマンだけが周りに集まり、現実が見えなくなっている。一言で言えば、裸の王様。中国はロシアと同盟を組み、冷戦を続けるが、ロシアは凋落したら中国に捨てられる。歴史学者の冷徹な見立てである。このように外野からはいろいろ評論されるが、ウクライナ国民に平和が戻ってくるまで、日本は全面的に人道的立場からウクライナをサポートしなければならないと考えます。

今回の言葉も老子を選びました。大国は自国のことしか考えない。自国の領土を増やし、力で相手を屈服させる。長い眼で見れば、力が衰えたとき、自国の中で民族が自立し求心力が絶え革命が起こり、帝国は瓦解する。力ですべてを成し遂げた国の末路である。自国にとって、足るとはどういうことか?、常に為政者は自問しなければならない。今様の言葉で言えば、WIN-WINだろう。自国にとっても、相手国にとっても、恵みのある関係を保つこと。それが出来る国が長久の利を得る事ができると老子は教えているようだ。

TaoChat@1112編集後記

今日もいい天気である。車のリコール処理のため、時間を取られ、メルマガ発行が遅れました。寒さのほうは弱まり、下着のシャツは半袖になり、コートもダウンからライナー付きのステンカラーコートに替えました。

この一週間はウクライナ情勢で一杯でした。プーチン大統領核兵器で脅してみたり、ウクライナ原発を攻撃したり、手段を選ばずに、首都のキエフ陥落を目指しています。民間人をターゲットにした使用兵器も、殺傷力の高いクラスター爆弾や燃料気化爆弾まで手を出しました。一方、ウクライナの提案で停戦交渉も2度行なわれ、民間人の犠牲を減らすべく、避難路の確保の合意も取れたようです。民間人の避難が終われば、首都への一斉攻撃ができるロシア側の好機が得られるおそれがありますが、ウクライナ政権としては、民間人の生命の保証を望むのは当然の措置といえます。戦犯としてウクライナ首脳陣を抹殺する悲劇を避けるために、世界は出来る限りのことをすべきと考えます。

今回の言葉は、前回同様老子からいただきました。老子荘子の違いは、戦争論老子は踏み込んでいるところです。第31章では兵は不祥の器だといいます。兵とは武器を言います。不祥とは不吉ということです。クラスター爆弾や燃料気化爆弾も、できるだけ多くの人間を殺すために作りました。それを使うことは簡単にはできない。孫子では戦争に踏み込まずに勝つ事が最高の勝ち方という。不吉な武器を沢山使って勝っても、国民に遺恨を残すだけで最低の勝ち方だと老子孫子もいう。今回の言葉は、天下は神器という。神とは神秘ということで、神器は力では動かせない器である。つまり天下は心で動く器になります。いくら言葉で、ウクライナはロシアのものだったといっても何の理解も得られず、反発だけが返ってくる。何故ならウクライナの歴史が、ロシアの侵略の歴史だったという。そして、ロシアの歴史が各国への侵攻の歴史だった。ロシアへの不信感を力で制圧できるはずはありません。いままでの強圧的な行為の歴史が不信感を植え付けているのに、強圧的な侵略で思いを遂げようとしても、最後には反発が爆発する。神器を無視して侵略しても、成功した例はないと老子はいう。2000年以上も前の言葉が依然として生きている。

TaoChat@1111編集後記

今日もいい天気です。平日は4時半起きなので、今朝も同じ時刻に目を覚まし、寝床でYouTubeを聞きながらまた眠ってしまいました。ウクライナ情勢のものが多かったようです。ウクライナ侵攻のニュースを見て、思い出したのが満州事変でしたが、一月万冊でも同じことをいっていました。親日派の要請で軍隊を出動させ、軍事侵攻し、現地に傀儡政権を作る。満州国建国と同じような常套手段をプーチンは選択したようです。さらに進んで、軍事クーデターを起こせと呼びかけまでしているようで、もうなりふり構わず状態です。専制君主プーチンをもはや誰も止められない。中国にももう一人したたかな専制君主がいるので、そちらの動向も目が離せない。

というわけで、この一週間のニュースはウクライナに終始し、オミクロンどこ吹く風である。そういえば、3回目接種は今日の予定です。モデルナを選択したので、副反応が出ないように願います。

今回の言葉は、老子の大国論です。なかなかいい言葉です。これは大国に限らず、力を持っている者が弱者に対してどのように接するのかを述べるものです。

ウクライナ侵攻は、まさに老子と正反対に、頭ごなしに意を改めろと迫るもので、あとに残す恨みは限りないものがあります。プーチンの強権は、強さの証しではなく、弱さの証しとなっている。外交で落としどころを決めるのではなく、暴力で決着しようとするもので、一時的にうまく行っても永くは続かない。互いの努力で平和を模索するという忍耐はプーチンにはないようだ。KGB出身というだけあって、反体制活動家は毒殺し、隣国は軍事力で侵略するという手法へのバリアは低い。ロシアの偉大な作家トルストイ老子への憧憬は深く、トルストイ訳の老子もあるそうである。いかんせん、プーチントルストイの非戦の思いは通じていないようである。

TaoChat@1110編集後記

今朝はうす曇で寒い。昨夜、カーリング準決勝を見ずに寝てしまったことを後悔している。一度負けたスイスを下して決勝に進んだのは驚きであります。試合中の選手の様子をニュースで見ましたが、明るく前向きに試合を楽しむ姿勢に感動を覚えました。決勝の英国戦は見逃さないようにします。

この一週間は、高木美帆選手の1000メートル金の試合で盛り上がりました。優勝して本当にうれしそうな顔を見せてくれました。満身創痍だったけど、やはり日頃の練習の成果が結果になってあらわれたようです。最後までスピードが落ちずに走り抜けたように思います。

今回の言葉はゲーテからもらいました。新潮文庫の「ゲーテ格言集」は大分昔の本ですが、変色しつつも読み返すと何度も発見があります。同じ言葉でも、自分の経験が詰まれると、味わいもその都度変わります。本の読み方も変ります。入院中に「ガリバー旅行記」を読み始めました。新潮文庫ではなく、角川文庫のほうです。子供のころ絵本で読んだことはありましたが、4篇を文字で読むのははじめてです。TRAVELS INTO SEVERAL NATIONS OF THE WORLDという長たらしい題です。小人国、巨人国、YAHOOも日本も出てくる物語です。荘子のスケール感にちょっと似ています。自分が虫と同じサイズになったり、巨人になったりしたときに、どう生活が変り、どのように周り見つめ、どのように周りから見られるのか、相対的に価値観が変化するさまをシミュレートできる楽しさを与えてくれます。話を戻すと、ゲーテの言葉は、正しさと不正も相対的であることを教えてくれます。法律という物差しで計るのが法治国家です。しかし、物差しの使いかたを誤ると、思わぬ悲劇をもたらします。それくらいなら物差しを無視するほうがまし。中国においては、ちょっとした自由民権の行動が、密告され国家転覆罪で処罰される危険がある。香港の問題もウイグル地区の問題も、自治区が持っている自由民権を維持しようという活動が、国家の秩序を侵すと判断される悲劇を生む。過去にあった大逆事件もそうだったなと思いを馳せました。その後の思想弾圧事件も、すべて国家転覆の目論見と捉えられると、国民はもう何も言えなくなり、国家は破滅まで暴走する。それを教えてくれたゲーテの言葉でした。