TaoChat@1200編集後記

今日は肌寒くセーターを着て、PCに向かっています。前回のブログで言い忘れていたことがあります。阪神日本シリーズ優勝おめでとうございますというメッセージです。岡田監督の笑顔が忘れられません。とにかくしぶといタイガースでした。ピンチは何回あったか数えられません。しかし、チーム一丸となって乗り切ったのは素晴らしかった。この一週間のニュースは、イスラエルのガザ侵攻で、一日4時間の戦闘休止がアメリカ主導で行われることになった。これがどんな影響があるのか不明だが、人質救出のための時間稼ぎなのかもしれない。休止時間の間のハマスの行動を監視していれば、どこに人質がいるかわかるのかもしれない。とにかくガザ地区パレスチナ人(特に子供)の死者が急増しており、停戦の足がかりを見つけるのが先決であろう。個人的な一週間は、高校時代のクラスメートとのZoom会と通勤と読書で終わった。読書の方は、長田弘著の「なつかしい時間」を読み終え、伊達宗行氏の「極限の科学」(講談社ブルーバックス)を読み始めた。どちらも本棚に眠っていたもの。メルマガの言葉は、「なつかしい時間」からいただいた。「極限の科学」の方は意外と面白く、物質も極限状態に置かれると、性質が激変することがわかった。特に超高圧と強磁場下での物性は、宇宙の極限物性につながり謎めいている。まだわかっていないことを読むのが楽しい。今回の言葉は、樹に関する言葉である。長田弘氏は詩人なので、言葉遣いが詩的で、いろいろな言いかえが随所にあり、読むのがちょっと苦労する。本に関する発言も多く、本好きの自分としては共感するところが多かった。特に、「読まない読書」というエッセイはなるほどと思った。読書というのは本を読むことではなく、本との付き合い方の流儀という。まさに、本棚に眠っていた本を10年ぶりに取り出し、ページをめくるというのも、ひとつの流儀だと思った。ワインみたいに寝かせておいて、味わえる態度が整ったころに読み始める。本が手元になければ、そういう読み方はできない。よく考えると、自分の書斎はワインセラーのように思えてきた。樹に関する言葉は、「樹が語ること」にあった。老子のように、自然の中の樹から学べるものは多い。その経験を日常生活のなかで体験することがつい最近あったので、長田氏の意見もなるほどと思った。似たような考えを本で出合えるというのも、本を読む楽しみだと感じた。そのような機会を求めて、毎日通勤と就寝前に本をめくっている。これは電子本ではなく、紙の本でないと味わえない感覚である。読みながら眠ってしまうことが多く、電子本では対応できない。