TaoChat@1199編集後記

今年もあと2ヶ月を切った。文化の日には、東京都現代美術館に孫娘と一緒に行き、デイヴィッド・ホックニー展を見て、帰りに深川江戸資料館に寄った。ホックニー展の方は、11/5で終わりのためか、非常に混んでいた。ホックニー氏のことはまったく知らなかったが、ハンチングをかぶり、チェックのブレザーを着て、タバコをくゆらす、愛嬌のあるおじいちゃんという風貌である。絵がカラフルで見ていて気持ちが明るくなる。その後で、横尾忠則の特集展示を見た。横尾氏の絵は、水を主題にしており、赤のインパクトがあり、幻想の世界に引き込まれていくように感じた。そして、昨日は昼から、高田馬場で高校のクラス会があり、旧交を温めた。この歳になると鬼籍に入る人間も増えてくる。12年前に亡くなった友人の名前が名簿に載っていた。風のたよりで亡くなった事を知り、あわてて名簿に載せたそうだ。というわけで編集後記は一日遅れとなりました。この一週間の出来事は、ガザの病院をイスラエル空爆し、多くの民衆が亡くなった。ガザの病人にハマスが立てこもっているというのがイスラエルの言い分である。

ハマスを殺すなら、民間人の抹殺もいとわないという、イスラエルの論理に対し、世界中から非難が集まっているにもかかわらず。イスラエルは、人質も犠牲になっても、ハマスを殺すことにやっきになっている。150人の国連の職員すら、攻撃の犠牲になっている。国連に対しても、建国の恩を爆殺というあだで返している。あんなに避難しろといっているのに、逃げないのが悪いといっているようだ。ガザ市民の人権保護のために残っているのに問答無用である。アメリカは表面的には停戦を求めるが、制裁を科すにまではいたっていない。

今回の言葉も、老子よりいただいた。今回の世界的な危機に、老子の言葉ほど活きる言葉は無い。今のイスラエルほど、怨念に取り付かれた国はない。あの大虐殺を受けたドイツに対しても、これほどの怨念を示したことは無かった。まるでパレスチナに対し、自らがナチスになったような態度である。ユダヤ人を助けるものもユダヤ人とみなす態度である。「大怨を和すれば必ず余怨あり」とはよくいったものである。大怨とはパレスチナイスラエルにより土地を追われた怨みである。イスラエルは、オスロ合意で和解したように見せかけ、それを無視して入植地を増やし、余怨を更なる大怨に変えた。そして今度は、無差別爆撃でガザの子供を殺し、怨みを持つ人間ごと抹殺しようとする。これではどちらが鬼畜かわからない。今回の言葉で老子が説くのは、矛をおさめる勇気を持つものが本当の勝者という。それになりえるのか、世界中が見守っている。