TaoChat@1198編集後記

ハロウィーンっていつなの?という疑問が起こった。街の店にはハロウィーンの飾りが出ているので、そういう疑問が起こった。調べてみると、10月31日の火曜だそうだ。起源は、この日にこの世と霊界の間の門が開き、霊がこの世にやってくるので、悪霊が家に入らないように、かぼちゃをくり抜いて顔を作り、そこに灯りをともして霊を怖がらせて家に入ってこないようにするとのことである。今は出かける祭りのようになっているが、どちらかというと家にこもって、悪霊から身を守るようにしなくてはいけないように思われる。この時期の悪霊といえば、プーチンウクライナ侵攻の野望とイスラエルのガザ侵攻の野望のようである。どちらも、ハロウィーン限りのものでなく、いつまでも続く。ロシア国民とイスラエル国民が、平和を望んでそれにふさわしい統治者を選ばない限り、悪霊の災いはずっと続くようだ。この一週間の国内は、岸田首相の増税めがねのあだ名はかわいそうで、共感できない。自分も弱視で、小学校低学年からメガネをかけていたが、そのころ、めがねざると呼ばれていた。当時は、視力のよい生徒の中でメガネはマイノリティで、メガネにサルまでつけて蔑称をいただいた。そんな経験があるので、何とかめがねというあだ名は差別用語だと感じる。目がよい人には、目が悪い人の不便さはわからない。めがねをつけないと、階段さえ安全に下りられない。岸田首相の中途半端さは生まれつきで、減税といいながら別のところで増税することをいとも簡単にやってのける。日和見さんというのがふさわしいように思う。日和見というのは、今日の天気を見て、どううごくか決めることである。よく言えば、空気を読む力があるといえ、わるく言えば、一貫性がないといえる。物価高が目にみえて激しくなり、何を切り詰めるか、判断を絶えず問われている。今回のメルマガは、またもや老子から言葉をいただいた。イスラエルの領土拡大の野望は、ハマス殲滅まで行き着きそうな気配である。そのための犠牲は、やむを得ずとしている。ここで考えなければいけないのは、パレスチナの地で、どのようにパレスチナ人とユダヤ人が共存していくかである。

先ず是正しなければいけないのは、パレスチナを国家として世界が認めることである。日本は欧米と足並みをあわせて、国家として認めていない。次に、パレスチナ国家をガザ地区ヨルダン川西岸地区に分断されている状況を変えて、一箇所に統合することである。分断されていると、必ずイスラエルの検問を受け、移動が不便になるからである。パレスチナ人のアイデンティティの地を作ってあげるべきだと考える。国連によるパレスチナ分割が悲劇の始まりで、パレスチナに統合した地を与えなかったのが、今の惨状の原因となる。パレスチナの分断は、戦後のどさくさで、西側が勝手に作ったことを反省すべきである。そこに戻らないと、この地は永遠に争いの火種を持ち続ける。