いつの間にか10月に入った。秋らしくなり、気温はまだ高めだが、空気に涼しさを感じる。「天高く馬肥ゆる秋」というが、食欲はあまりわかない。今月に入り物価高騰のラッシュが始まった。おいしいものを食べるというより、買えるものを食べるしかない。生きていれば十分だという気持ちがこれからは大事になる。買えるものをおいしく食べる気持ちが生きるために必要になってくると思っている。
今しがた、SMART NEWSで猪木さんが亡くなったことを知った。79歳だそうだ。24時間TVにも出ておられたのに残念です。猪木さんには元気とパワーをもらいました。それに昨日は三遊亭円楽さんが亡くなった。72歳で私と余り違いません。お二人のご冥福を祈ります。この一週間の出来事は、目まぐるしかった。安倍元首相の国葬が行なわれ、プーチンのウクライナ4州の併合宣言が行なわれ、二人の有名人が亡くなった。善いことも悪いことも風が吹くように流れて行った。国葬に関しては、強行されたという感じがあり、あとに何も残らなかった。税金が湯水のように使われていることを、日銀の円買い介入で知った。3兆円近いお金が投入され、145円から140円まで円安を一時的に抑えたが、今は144円に戻っている。この無駄になった3兆円はどこに消えたのか? 結局、国民の税金により徴収するしかない。無能な政治家や官僚の失態の穴埋めは、国民が常に負わされる。
個人的な一週間は、村上春樹さんの「一人称単数」と「風の歌を聴け」を読みました。「一人称単数」は短編集ですが、どの短編も秀逸でした。個人的によかったのは、With the Beatlesと品川猿の告白だった。With the Beatlesはガールフレンドのお兄さんとの会話が関西弁で交わされ、芥川の「歯車」を朗読されるシーンが面白かった。品川猿の告白はストーリーが練り上げられている感じがした。「風の歌を聴け」はネズミと僕がジェイズ・バーで交わされる会話が核になっているが、ネズミも僕も、蝉も蛙も蜘蛛も風も自然のすべてが宇宙の中を流れていくといった感覚がバックグラウンド・ミュージックのように小説全体を覆っている。それを風の歌と呼んでいるように思えた。その歌は個人個人で違うが、その歌が常に流れていることを共感することが、孤独を感じながらも共に生きていることに通じると感じた。
今回の言葉は老子より選んだ。プーチンのウクライナ4州の併合宣言について、何か言わないではすまなかったのが選んだ理由です。大怨に対して、いいかげんにしておくと、もっと大きな怨みになって残る。日本人は怨みを忘れる傾向がある。その理由は島国であり、過去に外国から侵略を受けなかったという歴史があるからです。一方、地続きの国は、怨みをいいかげんにすませて和解すると、そのつけは子孫に及ぶことになる。老子の中国も地続きの国なので、その教えは身につまされる。ロシアのやっていることは、悪行であり犯罪でもある。これに目をつぶったのが島国日本である。それに対し、怨みを消さずに和解できないのが、旧ソ連邦の国々である。力により征服された歴史がある。一度犯罪を許すと、際限なく同じことを繰り返す。スターリンという独裁者がいた時代、プーチンという独裁者がいる時代、ともに同じことを繰り返してきた。ロシアの犯罪にNOを突きつけるのが、再犯を許さない国際社会の使命といえる。身勝手な行動を許すと、図に乗るのが人間の宿命である。東京五輪で贈収賄を起こした当事者も、同じことを過去に何度も繰り返してきた輩である。図に乗った挙句に今回摘発を受けた次第にすぎない。