TaoChat@1140編集後記

午前中は日が照っていたのに、午後は曇り始めた。暑さに導かれたのか、つくつく法師の声が遠くから聞こえてくる。台風が近づいてくるために、今日の夕方から天気が悪くなるという予報だった。空を眺めると、西の空が黒い雲で覆われている。午後一時ごろ散歩に出かけたが、雨が降りそうだったので寄り道せず、早々に引き上げた。しかし、雨はまだ降っていない。湿度が高いので、エアコンをつけて編集後記を書いている。

今週の出来事は、ヤクルト村上宗隆選手のホームラン55号達成がビッグニュースだった。王選手の55号の記録は日本人選手には破られないと思っていたが、怪物はいずれ現われるのだろう。達成した年齢は22歳で、王選手より2歳も若い。これからの記録が楽しみです。個人的な出来事としては、ワンタンを夕食に作ってみた。ワンタンは、ひき肉にネギのみじん切りとしょうがをすったものを練りこんで、ワンタンの皮に包んで、スープの中でゆでるだけの簡単な料理です。しかし、つるっと喉を通り、胃袋におさまるので、年寄りにあった料理です。今回の反省点は、しょうがの量はほどほどにすることと、スープにはネギをいれないほうがよいことでした。ネギはのどに貼り付くと咳き込むことがあります。

今週の言葉は、禅林句集から選んだ。禅林句集は、論語荘子老子、碧巌録や臨済録、そして漢詩から言葉を選んで集めたものです。ただし、言葉を解説してはいないので、その解釈は、円覚寺のサイトを参考にしました。今回選んだ言葉は、以前にも取り上げたような記憶もありますが、好きな言葉なので自分なりに拡大解釈してみました。そのサイトでは「行き先に我が家ありけりかたつむり」を挙げていました。剣豪山岡鉄舟の句だそうです。どこにいっても、そこにはおさまるべき我が家がある。かたつむりは貝殻を背負っていますが、どこにいてもその場所が自分がおさまるべき場所になる。その心境をかたつむりにたとえたのでしょう。Taoistの解釈としては、家舎は人生という旅の終局点としての死になります。途中は生の途中なんだけど、家舎(死)を意識すると気が気ではない。家舎を意識から除けば、途中であることも忘れてしまう。家舎を意識から除くとは、今の時点が生の最高地点となるように生きるということ。そこでは途中ということはありえない。死の直前まで生きている。村上春樹氏の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」にも、『飛ぶ矢はとどまっている』というパラドクスという形で、死を述べていました。飛ぶ矢は死です。人間は時間を分解することで不死に至るという。死までの時間を分解していけば、いつまで経っても死には至らない。