TaoChat@1130編集後記

今日は風もあり、暑過ぎず、爽やかな夏の日を過ごしている。参議院議員選挙といいつつ、選挙カーの声ひとつ聞こえない静かな一日である。

昨日の安倍元首相の死去は大ニュースであった。狙撃の容疑者の動機がよくわからなかったが、ネットで調べるうちに概要が明らかになってきた。最初は、ある宗教団体幹部を狙っていたと報道があり、さっぱり意味がわからなかった。次に、安倍さんがその宗教団体を応援しているから、安倍さんを殺そうと思ったという報道があった。その理由ですら理解不能だった。そして今日、容疑者の母親がその宗教団体に入信し、多額の寄付をさせられ破産したため、その宗教団体を逆恨みし、その団体を支援していた安倍さんに恨みを持ったことが明らかになった。その宗教団体とは、旧統一教会(現在は、世界平和統一家庭連合と改称)らしい。安倍さんの祖父、岸信介元首相の時代から、旧統一教会とのつながりがあり、安倍さんがトランプ大統領との初対面も旧統一教会NGO(UPF:天宙平和連合)の仲立ちがあったとされる。安倍さんはしばしばUPF集会にメッセージを送っており、安倍さんと旧統一教会との関係は無視できないようである。狙撃の容疑者の動機がやっとつながり、あり得る動機となった。狙撃という蛮行は釈明の余地はないが、安倍さんがそんな宗教団体と関係を持たなければ、今回の悲劇に会わなくて済んだかもしれない。森友・加計問題も、いかがわしい人物や団体との関係を持たなければ、防げたとすれば、人生どこに落とし穴があるかわからないことを今回の事件は示している。

今回の言葉は、「方丈記」から選んだ。きっかけは、やはり今回の事件で、無常感を抱いたからである。政治の世界でどんなに長く君臨しても、命を落とすときはあっけないということである。すべてがうまくいくときもあれば、まずいときが重なるときもある。その全てが因と縁とで決まることを自覚し、悪因・悪縁は、身を正して自身から遠ざけるよう気をつける。そのようにしても、偶然が重なり、常にこの世の全ては移り変わっていく。運不運は誰にも予測はできない。