TaoChat@1136編集後記

秋に近づいていることをいろんなところで感じます。日が短くなり、早朝は涼しくなりました。秋の虫の声も聞こえます。暑さも7月の暑さではありません。今日は村上春樹氏の「ダンス・ダンス・ダンス」を読み終えてから、メルマガ原稿を書き始めたので、発行が遅れました。庭のトマトも、最終の収穫を終えて、草を取り払いました。

この一週間は、ウクライナではロシアのミサイル攻撃が続いている。日本ではウクライナ侵攻のニュースは注目度が下がっている。政治家の旧統一教会との関係がトップに上がり、モラルの低さが相変わらず取りざたされている。それよりも、旧統一教会の欺瞞を放置してきた責任にメスを入れる報道がないのが寂しい。立花さんが存命なら、いち早く論考していただろうと思われる。安倍さんが死なないとあらゆることが動かない日本に愛想が尽きている。ロシアの非道は、終戦末期に日ソ中立条約を無視して、北海道を半分よこせと連合国に申し入れたことにもうかがわれる。ウクライナ戦争は、ロシアの過去の数々の非道を国際社会が放置した結果と思われる。安倍さんの死もウクライナ侵攻も、種はずっと過去にあった点で共通する。

今回の言葉は、「ダンス・ダンス・ダンス」からヒントを得て、アインシュタインの言葉を選んだ。ダンスつながりの言葉はもう一つある。“We dance for laughter, we dance for tears, we dance for madness, we dance for fears, we dance for hopes, we dance for 
screams, we are the dancers, we create the dreams.” こちらはポジティブで、踊る目的は夢を創造する為という。とにかく積極的に動いて夢を創造するダンサーとしての我々である。今回お届けした言葉は、「ダンス・ダンス・ダンス」のダンスに近い。見えない力によってすべては誕生から死まで突き動かされている。それを笛吹きの曲に踊る主体にたとえた。踊っているのか踊らされてるのかわからないが、踊っていないと生きていけない。でもねという。踊るためには笛吹きの曲が聞こえないと始まらない。これは村上さんも、「ダンス・ダンス・ダンス」で言っている。曲を聞く耳があることが大事だと。キキにも、ユキにも、ユミヨシにもあった。何か大事件、要人暗殺や戦争が起こるのも、その曲を聞きそこなって踊った結末であるかのように思えてくる。