TaoChat@1090編集後記

今日はいい天気で、湿度が低く清清しい暑さである。さすがにセミの声はもう聞こえない。いつもはメルマガ配信のあとすぐにブログを書くが、買い物の用事が有り、昼食後になった。今年も残すところ、あと三月となった。

この一週間は世間ではいろんなことがあった。自民党の総裁が決まって、派閥優先の党内人事が行なわれ、あれだけ党内改革を唱えた岸田氏は、派閥丸出しの人事を打ち出している。総裁選で争った河野氏を閑職の広報宣伝部長に任命し、安倍・麻生の意向に沿った。衆院選で惨敗すれば、広報宣伝部長の首は飛ぶ。次のニュースは緊急事態宣言の解除。とはいっても、世の中すでに解除後の様相を呈していたので、コロナが怖くない人は出歩くし、ワクチン打っても怖い人はまだ用心する。解除後感染者の増加がなければ、徐々に出歩き始めるのであろう。みなワクチンを打って、無症状なので感染しても検査はあえて受けない。最近は入店や入館するときに体温を測ることはまずない。世の中がコロナ慣れして、過剰反応をしなくなったのはありがたい。更なるニュースは真子様のご結婚である。心無い報道が見苦しかったが、ご結婚後、アメリカまで追っていくのは止めて欲しい。ダイアナ妃のように追い詰め悲劇を招くような失態は見たくない。

今回の言葉は、NHK ETVこころの時代で知った、ニーバーの祈りである。苦しいときの神頼みではないが、キリスト教徒は、目覚めたとき、食事の前、寝るとき、必ず神に祈る。理由は今生きて恵みを得ることへの感謝を確認するためである。神学者のニーバー氏も自己変革のときにあたって必要な三種の神器を神に祈った。変えるものと変えないものを見分ける力、変えるものを敢えて変える勇気、変えられないものを受け入れる冷静さが、三種の神器である。これを仏教的に解釈してみた。ネタ本は、武田泰淳氏の「滅亡について」(岩波文庫)の小編「限界状況における人間」である。この度の総裁選と党内人事にあてはめると面白い。変えられないものは、自民古来の派閥優先の選挙と人事である。何をするかで決めず、だれと組むかで決める。そのために応援してくれた派閥に有利な人事を行なう。岸田さんは派閥をすんなり受け入れる平静さを持っていた。変えられるものは、自分に反対票を入れた河野氏への処遇である。これは大臣から広報部長に格下げし、発言権を大きく変える勇気を持った。最後に、自分に味方するものと敵対するものを見極める力は有していた。さらには、表面上敵対しても最後に鞍替えするものを見極める力もあった。この力は、議員票を予想以上に集める要因になった。福田達夫氏は、派閥批判をしながら手のひら返して総務会長におさまった。この話はメルマガに書けなかったが、ニーバーの祈りは総裁選にも繋がるかと思うと、笑いが止まらない。やはり仏教に繋げた方が好ましい。