TaoChat@1018編集後記

この一週間はとにかく天気がよかったという印象だった。

半袖シャツで過ごせ、ウォーキングを満喫できた。

月曜日には、特別定額給付金のオンライン申請が開始されたので、早速手続きした。

マイナンバーカードが確定申告に次いで役に立った例になった。

しかし、マイナポータルによる申請が何回も申請できるとは知らなかった。

こんなお粗末なシステムを作る国は日本以外にないであろう。

おまけに、銀行口座と紐付けされていないので、口座確認書類のデータまで送らなくてはいけない。お役所では、この画像と入力した情報の確認作業をひとが行ない、作業としては紙の書類のほうがましというお粗末振り。

ウォーキングは、車で真鶴半島の自然公園に行き、森林浴を楽しんだ。帰りに箱根芦ノ湖を散策した。県内移動であり、人は全く居らず、social distanceは保てた。日光と新緑と海の景観に心が癒された。自然の中に身を置くとき、人間は自然と一体になれる。その瞬間は原始の世界に心を移動する機会を与えてくれる。

今回、道元の言葉を選んだ。

平野啓一郎さんのお奨めで、「方丈記」を読み直し、続けて、「正法眼蔵随聞記」を再読したのが契機である。この本を読むと、道元禅師の合理的な考えを再認識できる。

印象的な話は、今やるべきことは何かを、常に問い続けることである。

死期の近い人間がそばにいて、その人が亡くなってから仏道に励もうとする者を叱責する。その人を捨てて仏道にいますぐ励めという。その人の看病をしようとその人はいずれ死ぬ。仏道に専心しようとするひとを引き止めて死んだら、死んだ人も後悔が残る。

自分を捨てて仏道に励んでもらえれば、死の前にまた一つの善を積む事ができる。たとえ、死んだ後仏道に成就できなくても、仏道に励められるように、自分を捨てておけという判断そのものが善になる。看病が終わり仏道に専心しようとしたら、自分が突然死ぬことになるかもしれない。その場合、仏道への修行を遅らせたことを後悔することになる。

つまり発心したら、即修行を開始しなければ、悟りに至る時期を遅らせ、その徳を衆生に及ぼす機会を逸することになる。

これは仏道に限らず、芸能でも職業でも、道を進む者にとって心しなければならないことだと、道元は教え諭すように思える。