今日は北風が強く、日向に出ていないと寒く感じる。
近所のパン屋にパンを買いに出かけたが、遠回りしても日向の道を選んで歩いた。
編集後記は、2回分休んだ。
ひとつは九州旅行に出かけたのと、もう一つは孫が泊まりに来たのでお相手をしたため。
今回は、今年最後の言葉となった。
最近職場の近くの紀伊国屋書店で、坂口安吾の「不良少年とキリスト」という文庫本を立ち読みし、年末の読書本で買った。
その中から、言葉を拾った。
不良少年というのは太宰治のことで、安吾いわく、「フツカヨイ的に衰弱した心」の持ち主で、彼の自殺へのはなむけの言葉である。
死んじまったら終わりだと一言言う。
不良少年は負けたくない。首をくくっても、偉く見せたい。
しかも腕力もない、弱虫だった。
権威を引き合いに出して、自己主張する。
そこでキリストを引き合いに出した。
安吾は、生と死を論じる宗教や哲学に、正義も真実もない、ただのオモチャという。
ただ、生きることのみを知ることによって、正義も真実も生まれる。
負けないように、いちずに生きている人間を目の当たりにすることが、正義と真実を学ぶ絶好の機会といえる。
これは他人から教わることではなく、自分で学ぶことである。
道元禅師の教えをまとめた修証義総序に、「今我等宿善の助くるに依りて、已に受け難き人身を受け」という言葉がある。
我々が人間としてこの世に生まれたのは、よい因縁に助けられて、人間の身を授かったためである。
このありがたき人身を最後の一瞬まで生きぬくことが人間としての義務であると、安吾は考える。
これは宗教や哲学で学ぶことではない。
実際に生きている人間をじっと見て、学ぶことである。