TaoChat@1003編集後記

あっという間に1月が通り過ぎた。

この一週間は、新型コロナウィルスの感染のニュースが多かったように思う。

木場に職場があるが、いつも使っている食堂に中国人を見かけなくなった。

いつもなら隣りから中国語が聞こえたが、今はどこに消えたのか。

プライベートのニュースとしては、今の職場を解雇されるかもしれない状況が生まれた。

今の仕事は、毎年契約によって請けている仕事で、来年度の仕事の受注量が大幅に減り、高齢者から足きりになると上司から話があった。

足きりになれば、年金生活に入るか、新たな職探しからスタートするかの選択になる。

まあ、この一二週間で結論が出るので、そこから動けばよいと考えている。

今回の言葉は、西行さんの歌からいただいた。

岩波文庫の「山家集」を開き、冬の歌探しから始まったが、雑歌の中にピンクのマーカーを引いた歌が目に止まり、それが今回の歌だった。いつ引いたのか忘れたが、日に焼けたページにマーカーの色が残っていた。

歌の内容は、老荘的に見ても、腑に落ちる。

西行のような坊さんでも、ありのままの自分になれない苦悩を吐露している。

善と悪、美と醜、そんな相対的価値に振り回されるのはもうやめようと老子もいう。

第二章で、「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。」という。

西行さんの時代には、すでに老子は読まれていたのかもしれない。

荘子は8世紀には日本伝来していたというから、西行さんも頭の中にも老子は入っていたと思われる。

この歌も、老子の言葉を念頭に生まれたのかもしれない。