あっという間に1月が通り過ぎた。
この一週間は、新型コロナウィルスの感染のニュースが多かったように思う。
木場に職場があるが、いつも使っている食堂に中国人を見かけなくなった。
いつもなら隣りから中国語が聞こえたが、今はどこに消えたのか。
プライベートのニュースとしては、今の職場を解雇されるかもしれない状況が生まれた。
今の仕事は、毎年契約によって請けている仕事で、来年度の仕事の受注量が大幅に減り、高齢者から足きりになると上司から話があった。
足きりになれば、年金生活に入るか、新たな職探しからスタートするかの選択になる。
まあ、この一二週間で結論が出るので、そこから動けばよいと考えている。
今回の言葉は、西行さんの歌からいただいた。
岩波文庫の「山家集」を開き、冬の歌探しから始まったが、雑歌の中にピンクのマーカーを引いた歌が目に止まり、それが今回の歌だった。いつ引いたのか忘れたが、日に焼けたページにマーカーの色が残っていた。
歌の内容は、老荘的に見ても、腑に落ちる。
西行のような坊さんでも、ありのままの自分になれない苦悩を吐露している。
善と悪、美と醜、そんな相対的価値に振り回されるのはもうやめようと老子もいう。
第二章で、「天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。」という。
西行さんの時代には、すでに老子は読まれていたのかもしれない。
荘子は8世紀には日本伝来していたというから、西行さんも頭の中にも老子は入っていたと思われる。
この歌も、老子の言葉を念頭に生まれたのかもしれない。