言葉との出会い

TaoChatというメルマガを始めて、20年近くになろうとしている。

メルマガでは、ある言葉を取り上げ、その言葉から感じることをつれづれなるまま、お届けする形式をとっている。

従って、小説でも、和歌俳句でも、ノンフィクションの本、新聞記事、聖書やお経や宗教本でも、出てくる言葉に敏感になっている。

言葉というのは、その人が自分の経験に照らし合わせて、感じたこと、考えたことを直観的に短い言葉で表現している。

言葉には、その人が人生の基本にするものが何か表れている。

ある言葉に感動するのは、その人生に共感し、自分の人生にもいかせたらという思いがわくからである。

従って、言葉を発するひとは、別に有名人でなくても、身近な人間でよい。

大事なのは、自分の生き方に基づいた言葉であることである。

自分の生き方と異なる言葉は、何の説得力もない。

同じ言葉が、人生を重ねることに違った重みを持ってくることもある。

自分の経験も歳を経ることに増え、何かしら人間的な成長を遂げている。

苦労を重ねると、聖書やお経の言葉が、ずっしりと心に響く場合もある。

頭でわかっていた若いときとは違い、心でその重みを感じるのが老年である。

従って、言葉との出会いにわくわくしているのが、老年の自分である。

残された時間も少なくなり、心穏やかにあの世に行きたい者にとって、その出会いによって救われる機会が増えてきている。

お金では買えない、自分の感性を頼りに歩む、貴重な宝探しとも言える。